はじめまして。雨水(うすい)と申します。
機能不全の家庭で毒親に育てられ大人になりました。
30代後半になるころに、母と決別しました。
そして、私と言う共依存の半身を失った母は、自ら命を絶ちました。
全てのケースに私の経験が適用されるわけではないかと思います。
が、私の経験にリンクするものがある方のお役に立てればと私の経験をブログで綴っていきたいと思います。
以下に、簡単に私の生い立ちなどを綴ります。
私の生い立ち
幼少期から小学校まで
祖母、父、母と一つ年上の兄、年の離れた弟がいました。
祖母と母がわかりやすい毒の人。パワー型の操作・支配の人でした。
弟が生まれるまでは、兄と私は、ヒステリックで世間の評価を気にする、よく言えば常識的で真面目で外交的な祖母と母から、日常的に虐待をされていました。
父は仕事人間であまり家にいることがありませんでしたが、幼い頃は父が唯一の味方でした。

中学生から大学受験まで
兄が小学校高学年になることから、家の中は冷たいものになっていきました。
母はこの頃から希死念慮に取りつかれ、そううつ状態。宗教やスピリチュアルなどに傾倒していきました。
幼いころから一家の毒の掃きだめだった私への負荷がどんどん増していった時代です。

浪人時代と二度目の大学受験失敗
大学受験を2度しましたが、失敗しました。
兄の素行がこの辺りから10年程はかなり悪く、警察や病院に親の代わりに行くこともありました。

つづき
順次、公開後に追記していきます。
2、家族のこと
家族のことを書きます。
2-1.母のこと
私から見て、曾祖母と祖母、そして母の女3人暮らしだったと聞いています。
詳しくは母の生い立ちというか、母のことを思い出しながら書いた記事がありますのでそちらをご参照ください。
上記以外にも、母から聞かされた話なども含め、また母について書いていくと思いますが、要は機能不全の家庭で育っていたのだな。と思います。
祖母からの虐待は日常茶飯事でしたが、甘える相手もおらず、いつも祖母におびえて過ごしていたことが母からの話でも伺えました。
そして、それは「躾だ」と母も思い込んでいましたし、私もそう思い込んでいましたから。
母子家庭であることに引け目があったようで、人一倍常識というものを重んじていました。人の目を常に気にしていました。
控えめという単語は彼女の中には存在せず、常に目立つところに立っていました。新聞やニュースに精通し、政治や経済、財界人の情報についても異常な記憶力で、常に他を圧倒していました。様々な情報を手に、自分自身で考え、行動する。自信をもって行動するための裏付けの作業を徹底して行っていました。
そして、それを、私にももちろん強いる。
学歴や職業に貴賎なしと口では言っていましたし、実際に人に対してそれを前面にだすことはありませんでしたが、彼女の中では学歴や職業へのランク付けが常になされていました。自分は4大卒である。かつては職業婦人であった。そして、立派に子供を女手一つで育てた。という確固たる自信がいつもみなぎっていまいました。
弱気を助け、強気をくじく。も彼女の大好物でした。いつでもマウントを取っていたように思います。
ただ、シンプルに毒だけの母であればまだわかり良いのですが、彼女の質が悪いところは、人情に厚く、本気で目の前の人間の為に全身全霊をかけて尽くす、ということをする。この点が、とてもやっかいでした。恨み切れない人懐っこさと馬鹿正直さ。ただ、毒で歪んだ思考とそれに気づけない愚かさ。
とてもアンバランスで、少女のような人だった。と。今は思います。
私は、もう母への憎しみや恨みは消化しました。母のことをここで悪く書いていないのは、もう済んだことだからと、心から思えるからです。
まだ済んでいない方は、そんな風にはとうてい思えないこともわかっていますし、そう思う必要もありません。もし、誤解をされてはいけないと思い、少しだけそのことを先に書いておきます。大丈夫。毒親のことはしっかり「ダメだこいつ」と恨んでいいのです。
2-2.父のこと
母はパワー系のぶっちぎり毒親でしたが、父も毒親だったなぁと、今は思います。
穏やかで、幼い頃は私の唯一の見方でいてくれました。
しかし、上の兄弟がドロップアウトしていくと、次第に関わりを持たなくなり、世間体のいい信太子供たち(私や下の兄弟)との接点のみを持つようになりました。
できの悪い子供は、もう知らない。というスタンスに切り替わり、何とかしようと、翻弄する母をしり目に、子供の教育を放棄しました。
そして、家庭の中で次第に言葉を発しなくなり、家族からも「頼りにならない」「愛情のない」「父親失格」というレッテルを張られ、逃げるように家を出て行きました。
そもそも、家を出ることも子供たちには知らせず、母とのやり取りはあったようですが、それでも、私や下の兄弟とは不和だったわけでもないのですから何かしら言っていけばいいと思うのですが。
父のことは、やはり母と祖母につぶされた人だったのだろうな、という思いも今はあります。それでも、家庭を顧みずとまではいきませんが、母に家庭をまるなげし、私たち兄弟が幼少期に虐待をされていたことに気づかなかった父にも、大いに問題はあると思います。ただ、母の狡猾なやり方、も加味するとそれも難しかったのかもしれませんが。
2-3.祖母のこと
とても強力な毒女でした。
気が強く外ずら抜群です。穏やかで品のある素敵なおばあ様ですね。とよく言われました。そして、私も他人であればそう思うでしょう。
女手一つで母を大学まで育て上げ、社会的信用のある企業を勤め上げ、小さいながら不動産所得を得るほどに仕事のできた祖母。
母が父と結婚し、数年後に、この若夫婦の家庭に入り込んだ祖母は、あっという間にこの過程での最高権力者となりました。
上の兄弟は、祖母がさまざまな揺さぶりをかけてつぶした、というところも大いにあると思います。
こだわりが強く、気位が高く、センスが良くて金払いがいい。かっこいい祖母でしたが、短気で、切れると手に負えませんでした。
私たちが母の機嫌を伺うように、母は常に祖母の奴隷でした。そして、私たちも、祖母にたてつくことは許されませんでした。
ただし、祖母は、母よりも機嫌のよい時間が多かったので、私の中ではよい思い出もたくさんあります。
そして、母に閉じ込められり、閉め出されたりした時に、何時間かすると手を差し伸べてくれるのは祖母でした。
今思えば、もっと早く助けてよ。何時間もたってからだなんて同罪だよ!とも思いますが、それでも当時の私たちにはありがたい存在でした
改めて書いてみて、やはり本当にくるっている。
2-4.兄弟のこと
一つ上の兄弟は勉強ができませんでした。
また、幼い頃は、母からの虐待から逃れるために、お互いにお互いを出し抜く、踏み台にするための存在でした。
それでも、ごくまれに、上の兄弟が私に優しさをみせてくれたことも…あるかなとおもいだしてみましたが、
どちらかというとそれは、母からの評価を上げるための行為であることの方が多かったように思います。
大人になってからは、障碍者になってしまいました。身体的にも、精神的にも。
祖母と父と母の毒につぶされた。そう私は思います。
そして、どうにかかろうじて、正常な時に、正常ない状態を保てている時に、兄弟本来の優しさに触れることができました。
もろく、可哀そうな人。そして、おそらく、もう生きて逢うことはない人です。
したの兄弟のこと
とても優秀です。そして、我が家の大人たちの毒を少なめに過ごせた子供です。
といっても、虐待がないというだけですけれども。
その代わり、上の兄弟がおかしくなっていた頃、家庭内暴力がひどく、下の兄弟がまだ小学生の頃だったため、はだしで家から逃げ出し、近所の大人と様子を見に自宅に戻るとパトカーが来ている、という惨事を何度も経験しています。
3.乗り越えてきたこと3
ざっくり(でも長いですけれども…)機能不全の家庭での毒親からの理不尽な子育て。そこから生まれた共依存の関係からの自立。そして、発達っ子特有の子育ての悩み。身内の自死による心の傷。そんなものを何年もかけて、ゆっくりと受け止めて、咀嚼し、自分の中で消化してきました。
3-1.毒親・機能不全家庭からの自立
機能不全家庭からの自立には、実際に自分がそうだとしっかり自覚するまでに何年もかかりました。
そして、自覚してから行動するまで。
行動にうつしてから、毒母からの揺さぶりに、くじけそうになりながら戦いました。
そして、上の世代(祖母・父・母)がたとえ亡くなったとしても、心象の(毒)親としっかり対峙して、自立をはからないとなりません。
何年もかかりましたが、今は、なぜそうなったのか。どうやったら抜けられるのか、がわかります。
3-2.発達っ子の子育ての悩み
発達っ子であっても、定型であっても、子育ての悩みはつきものです。
それでも、発達っ子への理解や知識が、世の中こんなにもないのかと学戦としました。
普通級がいいのか、特別級がいいのか。そもそも田舎だとそれさえも選べないケースもある。
公表したほうがいいのか、ひた隠しにした方がいいのか。誰に相談したらいいのか。
進学先はどうしたらいいのか。色んな悩みが。
そして、友人のお子さんの周りに発達っ子がいて、迷惑している。という相談を受ける度に、傷ついたり。
私にできることは殆どありませんが、そういったケースについても何とか乗り越えてきました。
どんなふうに乗り越えたかやり過ごしたかを、また紹介していけたらと思っています。
3-3.身内の自死による心の傷の癒し方
結論からこれについては書いてしまうと。「時間」です。
「大切な人」「身近な人」が亡くなった。悲しい。その思いについては「時間」が味方してくれます。
そういった意味での「時間が味方してくれる、が結論」です。ただ、自殺。の場合。しかも、「毒親」の自殺。の場合。これは少し難しい。
時間とプラスアルファが必要です。無理に乗り越える必要はないと思いますが。色々なことを試したらいいと思います。
時間に手伝ってもらう事と、あとは、「心象の毒親」を少しずつ向き合い、分析する。そして、私は悪くない。「私は頑張った」と思えるところまで自己肯定を持ってきてあげること。
それが、とても難しい。んですよね。わかります。でもゆっくりでもいいから、少しずつできるようにこちらも綴っていきたいと思っています。
まとめ
以上が、おおまかな私の生い立ちだったり、家族のお話です。
こういった関係から、知り合いの方づてだったりで、口コミで共依存や発達っ子の子育てのご相談を受けるようになりました。
人それぞれみんな違って、それでいいはずなのに、誰かが誰かを攻撃するからおかしなことになる。
幼少期から、家庭内で、常に攻撃されたり、顔色を窺わないと生きてけなかったりするような環境があるから、生きているのが苦しい、になる。
色んな事が私もありましたが、今は幸せに生きています。
身近な人の顔色を窺ったり、誰かのために生きたり、そんな人生ではなく、自分で考えて、自分の好きな人と好きなように過ごす毎日です。
少しでも、同じような気経験をした方の参考になれば幸いです。
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