生きるのがつらかったころ、精神疾患やアダルトチルドレンなどの本を読み漁っていた頃、「毒親」という言葉に出会いました。
そして、その本によって、自分の親が「毒親」だとわかり、幼少期からずっと生きるのが苦しかった理由がわかりました。
何かあるたびに自分を責めてしまう。いつも人から利用されてしまう。どうして自分ばかり…。
人との距離の取り方がうまくできないのは、生育環境である、親との関係が大いに関係している場合があります。
そして、自分の親が「毒親」だと気づいた頃の私の経験をご紹介します。
「毒親」という言葉との出会い
30代後半になり、母と子供との3人暮らしが再び始まりました。
3人での暮らしは、はたから見たら幸せそうに取り繕っていましたが、実際には、日々、母から私や私の子供への過干渉、操作がなされていきました。
かつて私が母にされたようなことが、私の子供にも母からされるようになり、私たち3人の異常な家族関係の闇が深まっていきました。
何年か、母との暮らしを続けるうちに、再び私の精神は犯されて行きました。
元々、幼いころから母の徹底した密室育児。虐待の中で大きくなった私は、大人になっても母が身近で操作することで、かつてのマインドコントロール下にあっという間に置かれました。
毒親の特徴として、「常識的な物事の指標がある」ケースに私の母は当てはまります。ただ、その度合いが尋常じゃない。
言葉尻では、良くある話。それは当たり前。ということで片づけられてしまうところが毒親の恐ろしいところです。
これは、経験者あるあるですが、経験していない人や、毒親のマインドコントロール下にいる人には理解ができないことかと思います。
生きているのが辛い。消えてしまいたい。再び日常的にそう思うようになり、なぜこんなに自分が苦しいのか悩みました。
それでも、子供を育てなくてはならない。母の期待に応えなくてはならない。子供の為にも幸せな毎日を送りたい。でも、もう死んでしまいたい。
両立しない気持ちが心の中で渦を巻き、毎日が地獄でした。
子供の為にも、自分の為にも、なぜこんなに辛いのか。心をどうしたら軽くできるのかと、色々な本を読み漁りました。
そして、ある日、いつものように精神疾患や発達障害、アダルトチルドレンなどの書籍コーナーに立ち寄った際に、「毒親」について書かれた本を見つけました。
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この本を購入した時にもう一冊
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も購入しました。
正直、びっくりしました。殆ど、ほとんどの毒親エピソードが、私の母親、父親、祖母に当てはまったのです。
私のこの苦しい人生の基盤は、幼少期の親との関係性が根にあり、そして、あろうことか、いまだ(40歳手前のそのころ)に、母との依存関係が継続しているために、より一層その苦しみを深めているのだ、ということが分かった瞬間でした。
虐待とは体罰や折檻だけではないことを知る
私は虐待されて育った。
本を読み進めるうちに、その事実がじわじわと私の心の中に重くおおきく広がります。認めたくない。でも、事実だと。
虐待とは、いわゆる「性的虐待」「体罰」「ネグレクト」などのイメージが一般的です。
実際、多くの場合はそうだと思います。そして、私も、世間の「虐待」についてはそのイメージでいました。
そして、自分の身に置き換えるとどうか?ということですが、自分の身には置き換えができなかったのです。
どういうことか?
私は、幼稚園に入る前から、毎日のように、鍵付きの物置に閉じ込められたりしていました。
また、月に何度かは、母の機嫌を損ねると、自宅から車で10分程走らせた山の中の脇道に置き去りにされていました。
車で山に置き去りにされる場合は、最終的には再度迎えに来てもらえはしますが、当時はまだ幼稚園にも入らない時分です。時には小雨の降ることもありました。
母が怒り狂い、私の手首をつかみながら「もうお前なんかいらない。捨ててやる」と引きずりながら車に乗せられ、そこから地獄のドライブ。そして実際に置き去りにされる。という一連の流れは、今思い出しても辛い記憶です。
そんな「れっきとした虐待」を受けていた私でありましたが、実際のところは、この本を読んで「毒親」という言葉が肚に落ちるまでは、「これは躾だ」「我が家においては躾である」とそう思い込んでいました。そうです。母からの刷り込みです。
そして、いつか詳しく記事にしたいと思っていますが、母もまた、祖母からされた仕打ち。祖母からの「躾」と称した虐待教育を受けていたため、これが異常な子育てであるという自覚が、不幸にもなかったのです。
「虐待」の概念がなく、自分が虐待されているのに「躾」だと思い込んでしまう。それには訳があります。
幼少期からの密室育児でのマインドコントロールです。
「あなたのためだから」「あなたが可愛いから」「あなたの為を想って」と枕詞に毎々添えられながら、理不尽な虐待を受ける
それが続くと、子供は、「こんなにひどいこと(体罰)などをするのは、お母さんだって辛いはず。ああ、私はなんて悪い子なんだろう」などというゆがんだ思考になります。
そして、何かあると常に自分を責める。自分さえ我慢すればよい、という、共依存体質が出来上がります。
私は、こういったわかりやすい体罰もありましたが、精神的な母親の操作によるマインドコントロールも大いに受けて育ちました。
誰かのために自分をささげる。これが最も尊いこととされ、それを実現することで母の機嫌がよくなる。そのことを学んだ私は、常に「自分」という判断指標でこうどうすることなく、「母の良識」「母の喜ぶ結果」を求めて生きることを至上命題にするようになりました。
体罰などの肉体的な虐待もありましたが、精神的な操作による、自己の否定。そのような育児もあるのだと知りました。
両親が「毒親だった」事実を認めることへの罪悪感と葛藤
自分の親が「毒親」だった。ということが腑に落ちたときは衝撃でした。
そして、とてもショックではありましたが、今までにこんなに辛かったのは、私だけが悪いのではない。原因があったのだ。ということがわかり、とても気持ちが楽になったのを覚えています。
ただ、それまでずっと「親は敬うもの」「親のいう事は絶対である」「目上の人間に…」「母親は子供の絶対味方」など、自分自身の親への凝り固まった概念が大きく、罪悪感に押しつぶされそうになりました。
育ててくれた親にたいして「毒親」だなんて言葉を当てはめてはいけない。とか、「親が虐待したからと言って、私を育ててくれたことには変わりないのだから、感謝しなくてはいけない。つまり、「毒親だなんて思ってはいけない」など。
今は色々なことを乗り越えてきましたので物事を分けて考えられるのですが、この時には本当に混乱しました。
親に感謝するのは当たり前です。というか、してもいいし、しなくてもいい。
それはそれです。親だって、子供がかわいいのですから、慈しんで育てる。感謝されたくて育てるわけではないのです。
これは、私が子供を育てたからわかります。
別に感謝してくれなくてもいい。してくれたらそれはそれで嬉しいけれど、別の話。それこそ、「育てさせてくれてありがとう」とこちらが感謝です。
それなのに、「育ててもらったので感謝すべき」「感謝すべき人へ、悪い感情や言葉を当てはめてはいけない」という思考が邪魔をします。そして、自分を責めたてます。<br<
「ああ、お母さんのことを毒親だなんて、私はやっぱりろくでもない娘だ」そう自分を責めたてます。
自分を責めた方が楽だからです。それまでもそうやって生きてきたから。幼いころからそうして、操作されてきたからです。
しかし、少しずつ、少しずつ、「それはそれ」「これはこれ」と考えられるようになりました。
「親への感謝はある」「親への愛情もある」でも、それはそれ。そしてそれとは別に
「虐待はいけないこと」としっかり認識し、「私の親は、子育てが下手くそ鵜だった」という事実をそのままに受け入れたらよいのだ、ということがわかりました。
私が悪かったのではない。未熟は母親が、下手くそうな育児で私を苦しめた。
という事実。そして、それは、許す許さないは別の話。戦う戦わないも別の話。ただ、その事実をまず受け止める。
そして、その事実を受け止めて初めて、幼いころの自分を抱きしめてあげられるところに立てます。
まとめ
このブログにたどり着く方は、同じような悩みを抱えている方だと思います。そして一つ、大切なことを。
ご紹介した本には、公判で「親と対決する」という章があります。
私は、この部分については、あまりそのまま行動しない方がよいと思っています。
ケースバイケースですので、対決したほうがよい場合もあるかもしれませんが、やり方を間違えると返り討ちにあったり、余計参事を招くことにもなりかねません。
ですので、あくまでも、私の経験談をご紹介するのに、書籍もご案内しましたが、知識としてまずはご興味あれば読んでいただくにとどめるのが良いと思います。
この本を始めて手にしてから、何年も私は苦しみました。そして、私の母は最終的に自殺をしました。
この本にあるような対決方法ではありませんでしたが、母との依存関係を断ったのちに、母は自死を選びました。
もう何年も経過し、何度も大きな辛い苦しみの時期を乗り越えてきましたが、本を読んで、そのままに行動されるのは、闇が深ければ深いほど、危険です。
まずは、毒親についての理解と、自分が苦しい原因の一端を学ぶことから、ゆっくりと始めるのが良いと思います。
少しでも、共依存や毒親、身の回りの人間関係で苦しんでいる方の、お役に立てましたらと綴りました。
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