離婚後の話・育児の話

離婚から十余年|発達の我が子の成人式を前にシングルマザーが思うこと

子供の成人式を数日後に控えて、突然思ったこと。

自分の成人式の時の事と、息子の成人式前に起こった出来事から、様々な思いが浮かび苦しくなっている。

きっかけは養育費の支払い停止

昨年、息子が二十歳になった。

養育費は半年毎まとめての支払いとなっていた。しばしば遅れることもあったし、なぜか1か月分だけ振り込まれて、翌月に5か月分振込ということもあったため、通帳記帳した時に

「あれ?金額が少ない?」

「不足分は、該当月までに振り込まれるのかな?」

位に思っていた。

が、先日記帳してみたけれど、振込はされていない状態。

相手の操作にまんまと乗っかって生きてきたことに気づく

私都合になり、情けない話だが、高校卒業までは養育費増額や、学費負担のについて、相手側に持ち掛けることはしなかった。

別れる時に「何年かして、お金もっとよこせとか言ってくるなよ」みたいな発言をされたことを根に持ち、意固地になって「だったら絶対稼いで、少ない養育費でも育ててやる!」と余計な決意をしてしまっていたから。

これ、今思えば、相手側の操作。

私が共依存故の、浅はかでくだらない意地。

「あんなやつに頼らなくても立派に育て上げる」という、字面はそれなりだけど、自分を肯定するための、周りからの評価を気にした利己的な意地。

まんまとあのサイコパスの思惑通りに十余年もあの男を甘やかしてしまった成れの果て。

養育費や学費について、連絡を試みる

養育費、遅れることが何度もあったが、一応公正証書の取り決め通り、養育費の支払いはされていた。

そして、公正証書には「20歳を迎えるまでの支払い」「ただし、病気や進学状況によって、両者協議の上」といった文言が記されている。

元配偶者は、養育費の支払いはしていたが、学費や学用品等の支払いなどは一切なしだった。

とは言え、中学時代から進学に関わる三者面談などに同席をさせてきたし、進学については了承していた。

だから、当然、学生のうちは養育費は支払うだろうと、たかをくくっていた。

でも、振込がされていない事実。初動が肝心と思い、数週間後、メールをした。

  • 学費負担
  • 子供の生活費負担

について、負担をお願いしたいと考えている旨を記載して。

 

しかし、回答は「検討するけど、即答はできない。自分も厳しい状況だから」的な返事。

大変なのか?いや、でも、昇進しているのだから、給与は上がっているはず。どうしたものか。

そんな思いを抱えながら数か月を過ごした。

実はかなり年収が上がっていることが判明

子供が元配偶者と会って数日が立った時、「そういえば…」と、嬉しそうに父親の昇進について私に語った。

嫌だけど、息子にとっては父親だし、男親の昇進は嬉しいことの様子。

男の子は男親の背中を見て成長させてい上げたい。

父親を嫌う要素は、できるだけ排除して子育てをしたい。といった思いがあるため、そうなんだね、と話を聞いた。

でも…?

え?それって?どういうこと?

現在の養育費は、基準の半分以下だったことも判明

私が離婚したのは十余年も昔の話。

当時の元夫の年収からすると打倒な金額の範囲内に一応収まる額(少ないけれど)で決まった養育費。

しかし、当時平社員だった元配偶者は、親の威光を存分に活用して、順当に出世。現在はおそらくだが、年収も当時の倍2~3倍に膨らんでいるものと推測される。

まだ正式な年収額はわかっていないが、弁護士に相談してみたところ、「推測ですが、おそらく、妥当な養育費金額の半分以下ですね」と言われた。

そして、弁護士にはこうも言われた。

「どうやって生活してきたんですか?」

と。

貧乏・苦労の基準が、毒親育ちは桁外れだと再認識

そうだった。と。思い出したのは、婚姻生活をしていた時に、破格の生活費でやりくりをしていて、元姑や友人たちに「雨水さん、そんな金額でどうやってやりくりするの?普通できないでしょう?」と言われた事。

しかし、できていた。

と言うか、やるしかなかった。

だから、フードロスをしないように献立を工夫することで、料理の腕もあがったし、基本、自分が我慢すればどうにかやっていけると思っていた。

そして、改めて、毒親育ちは障害児であるという認識が深まった。

健全な精神を持った健常者は、自分が虐げられると当然不快に思う

しっかりと、「この扱いは不当だ」「こんなことをされたらいやだ」「これではやっていけない」と声を上げることができる。

でも、毒親育ちは、常に自分がサンドバックやゴミ箱のような扱いを受けているため、不当な扱いをされていても気づけない。

どんなに自分がどん底でみじめであっても、その生活の中で「大丈夫、頑張れる」と自分を洗脳し続けて生きながらえる

だから、人に利用される。

だから、人に付け込まれる。

別れてもなお、利用されていたことに愕然とする

少ない養育費で歯を食いしばって生きてきた。

途中、子供が大規模ないじめに何度もあい、転校させたり、学区の違う進学先を選択するために私学への進学を決めたり。

その度にお金がかかったが、負担してきた。

私学に通うことを事前に知っていたから、「学費はどうしたら…」と言ってくるかな?という思いも少しありつつ…。無かったけどね。

そして、そう言ってこない相手でも、選んだのは共依存バリバリ時代の私なのだから、自分が学費を稼ぐしかない、と思ってきた。

が…。

  • 養育費は、子供が生活するために必要なもの
  • 養育費は、親が子供にかける義務

という認識をしなくてよい、というスタンスに映ってしまったのかもしれない。という反省を今している。

相手にしてみれば

「私学行くのか。頑張れよ」

「合格したんだってな!頑張ったな」

と、自分の都合の良い時に子供と会って食事をして、そんな会話をして終わり。

子供は、父親に褒められて嬉しい、逢えて嬉しい。以上。

子供はそれで良い。できれば「じゃぁ、進学祝いしないとな!」くらいはしてあげて欲しかったけど、それは早い段階であきらめていた。

でも、この諦めが、私の共依存からくるものだった気がするし、結果的に今の状況を招いている元凶だと考えてる。

要するに、相手にしてみれば

「私学か。へー。」で終わり。

何故なら、想像力も親の責任感もないから。

「学費が余計にかかるんじゃないのか?」なんて発想なし。

そもそも、公立でいじめられていても、何も行動もしない。一緒に学校に行って欲しいと話したときも「仕事が…」「無理だな…」「心配だな…」だけ。

弁護士に言われて「嗚呼…」と落胆し納得した言葉が2つある。

「相手は、雨水さんが何言っても動く気ないですよ」

「だって、のらりくらりしていたら、雨水さんが全部なんとかしてくれてきたから」

というもの。

ただただコレ。

私の人生はいつもこれ。つねにコレ。

「頑張ることは良いこと」の洗脳・呪縛

頑張ったらいいことがある。って言うのは、本当だとは思う。

でも、毒親育ちに限っては、頑張るの基準・ハードルが空より高い。

死ぬよ?そんなにやったら…。って言うくらい下手すると頑張る。

実際、毒親育ちに共依存は多いし、毒が抜けてからも、障害なので治ることはなく、思考の癖や行動原理の癖は体に染みついている。

大きな解毒が完了すると「希死念慮がもうない。生き易い!幸せだ」と思うし、実際そうだけど、やっぱりそこここで利用されがちなのも事実。

子供の成人式を控えて思うこと

情けないな。ごめん。という感情が大きい。

ハレの日を前に、奨学金も視野に入れて資料取り寄せとか。

私の稼ぎが今減ってしまったから。というものと、養育費が止まったから。

これを申し訳ないが正直に、しっかりと話をした。

子供は「そんな急にお金大変て言われても…」と言いながら、「…あ。言ってたね、お金大変とか、奨学金調べてとかって…」と思い出し、「そっか…」と切り替えようとしてくれていた。

ごめん。

と思う。

不甲斐ない母親でごめん。と思う。

そして、私自身の不甲斐なさは2つ。

  • 今、稼ぎが少ないこと
  • 養育費・大学進学後の学費等の交渉をしなかったこと

ごめん、の中身は

  • ハレの日を前にしみったれた状況で水を差していること
  • 普通の(健全な)家庭の成人式の祝い方が分からないこと
  • 実際の父親がクズいっぽいことをオブラートに包んでここまできてしまったこと

もっと早くに、養育費増額交渉をしていたら、間違いなくできていたと弁護士からも言われた。そうしたら、子供にも、みじめな思いをさせないで学生生活を送らせてあげられた。

クズな父親の部分。敢えて言うことじゃないかもしれあいけれど、「父親はアナタを大事に思ってるし、責任を話してくれてる」と思い込ませて育ててしまった事。

20歳になって、大どんでん返し。しかも成人式の前にって、ひどい。本当に申し訳ないし情けない。

そして、健全な家庭の成人式の祝い方が分からないのも、情けないし申し訳ない。

健全家庭は成人式をどう迎えるのかが分からない

子供が成人式を迎えるにあたり、どう親として祝ってやるのが一般的なのかが分からないのも、情けない。

毒家庭時代の私の成人式の記憶は曖昧

私の過去記事に、二十歳の頃家出していたことを書いた。

私は二十歳の頃、初めて毒親家庭からの脱出を試みて、家出をしていた。

母は、私の部屋中のありとあらゆる住所や電話番号にコンタクトを取り、警察に捜索願を出そうと思っていると、親しい友人に連日のように電話をかけた。

結局、友人の勧めから、実家に連絡。

当時お世話になっていた母のお友達(私の幼馴染の母親でもある)が同席する条件で話をして、成人式だけは出る、ということになった。

前日に帰ったのか当日帰ったのか記憶が定かではないが、成人式当日、母が用意した借り物の振袖を着て、父の車に乗り、写真館でスタジオ撮影し、成人式に出席した。

成人式の後は、夕方、かつての同級生と食事をして…、あとは覚えていない。実家の家族との関わりがどうだったのかは…。

 

毒家庭でもマシな子育てだった弟の成人式

私の成人式は、しっかりと毒家庭の成人式だった。

だから、どうしたらいいのか分からず、弟に連絡をしてみた。

弟は、

当日スーツ着て、友達宅のお父さんが会場に送ってくれるって話で、そこに行った。」

友達の家で、パシャっと写真撮って終わりだったよ」

とのこと。そして

「ご存じの通り、特殊な家庭環境だったので参考にはならなそうだね。笑」

と添えてきた。

スタジオ写真なし。これは男子だとまぁ別になのかもしれない。

でも、おそらくだけど、写真を撮ったのは、弟の友達のご家族で、母は同行していない。父はその時には行方知れずだった。

私が子供と迎える成人式とお祝い

子供が成人するときに時計をプレゼントしたいと思っていた。

昨年、ちょっとした会話から、子供がこういう時計が欲しいと思ってるんだと話したことがあった。

本当は、一緒に行って好きなものを選ばせたいと思ってるけど、気に入るなら、少し高価だけど成人式の時にあげるけど、どうする?と見せると

「うっわっ。いいの?」

と喜んでいたので、私からの成人のお祝いはその時計になった。

だから、一旦成人祝いの品はそれで良いと思っている。

あとは食事?

前夜に親子でお祝いご飯をしたらいいのかな?

当日は会場に送るくらいはしてあげるものなんだろうか?

ちょっと分からない。

でも、当日の朝、スーツを着る息子は楽しみだったりする。

これを書いている今、ぐっと胸にくるものがある。

頑張った。息子、すごく頑張って成人式まで生きてきた。

こんなにダメな母親と、無責任で我が子の気持さえ考えられない父親の元に生まれ、ハイパー猛毒祖母との生活を経て、まともに成人してくれた。

ありがとう。ごめん。ありがとう。