日々思うこと徒然

思考の観察|目が滑るTwitterを考察「対象を大切にすることを通して人間は自分を大切にする」ん?

日々の雑記です。自分の思考を観察することで、毒家庭で強固にしてしまった歪んだ思考の癖を治す訓練をしています。

私自身の備忘録ですが、「気分を変えるには自分の思考を観る」「思考の癖を見つけて歪みをなくす」ことに取り組んでいる方がいらしたら、参考になるかも、ならないかも。

 

さて、Twitterでフォローしております萩さんのつぶやきに以下のようなものがありました。

人間は対象なしには無である。

自分自身を目的にすることは、無目的にすることである。

対象を大切にすることを通して人間は自分を大切にする。

人間は対象を愛することを通して自分を愛する

「親離れできれば生きることは楽しくなる」

加藤諦三先生

1行目はわかる。でも2行目から目が滑る…。

ん?何だろうこれは…。と気づきました。何かの引っ掛かりがあるのだけど、その理由?が分からない。

でも、おそらく、少しモヤっとした。これは、私の「毒の思考の癖」が関係しているな?さては。

と気づきました。私はこの小さなモヤっとした気づきを「毒の種」と呼んでいます。

毒の種は芽吹かなければ放置してもとりあえずは問題ないものもありますが、何かのキッカケで一気に目を出し育ち、気持ちが苦しくなるようなグルグル思考を量産するので、見つけた時にピックアップする練習を日常でしています。

とりあえずこのツイートを見た時は他にやることがあったので、リマインド用のつぶやきをしました。

 

さて、これを今日は見ていこうと思います。ブログに書きながら、私の思考の癖を紐解きます。

まずは、何に引っ掛かったのかを確認する

1行目から行きます。

人間は対象なしには無である。

そのまま理解できる。

そうだよね。これは。と納得。

何かの対象があることで、その対象に対して思考が走る。

元気な時の休日、朝起きて青空が広がっていたら「嬉しい!掃除しよう!」とか「出かけよう!」とかなる。

大好きな食べ物が目の前にあれば「美味しそう、嬉しい」になる。

可愛い雑貨を見れば「欲しい→帰るかな→安い!→家のあそこに飾ろう→今日お金持ってきてたかな?今月ってどうだっけ?」とか、ウキウキだけど思考は走る。アタマは賑やかに。

これはハッピーな場合。

 

アンハッピーな場合は、例えば、

街を歩いていて、不機嫌そうな母親が子供を怒鳴っていたら…

あんな言い方しなくてもいいのに→どうしてそんな言い方するんだろう→ああ…子供が泣きそう…→お母さんどらないと良いけど→あっ怒鳴った…→子供が泣き出した→可哀そうに→うちの母親と一緒だ…

など。

でも何にもなければ思考は走らない。ふむ。これは問題なくスっと入る。気にならない。

 

 

では2行目

対象を大切にすることを通して人間は自分を大切にする。

これは嫌だなぁという気分が少し起こる。なぜなのかを丁寧に観ていく。

この一文に対する私の反発的な思考の流れは

 

対象を大切にすることを通して自分を大切にするって何?

  • 誰かや何かを介在させないと、自分のことを大切にできないってこと?
  • 違うと思う…
  • 誰かや何かを通さなくても、ただ、自分を大切にすればいいのに
  • 何か、誰か、といった対象ありきの考え方や教えみたいなものが、共依存を生むんじゃないのっ?!!

 

なかなかの怒りっぷりです。文字にすると。笑

面白いですね。ここに、私のヘンテコルールがあることが分かります。

自分のことは、自分で大切にするべき

自分の幸せは、人に委ねるべきではない

 

相談室にお越しになる方に、思考や「自分ルール(毒ルール)」の見つけ方のポイントとしてもお伝えしているのですが

のに」「べき」「否定形」での思考は「毒ルール」の可能性がある。

の教科書通りの思考です。笑

ここで嫌な気分になっている原因は「他者に委ねている」ように感じた、というもの。

委ねている?何を?と更に深堀すると、既に書いてある。

「自分の幸せ」ですね。

「自分の幸せを、他者に委ねている」と、私の思考は断定して読み進めている。笑

どこにも「幸せを」だなんて書いていないのに。

多分、「自分を大切にする=幸せ」という方程式がアタマの中で盤石。だから「自分を大切にする」ということを「自分の幸せ」「幸せになる」というものに勝手に変換して読んでいた。ということが判明しました。(面白い)

ということは、2行目がどうしても上滑ったり、ほのかな怒りを覚えた理由は

「対象を大切にすること」を「対象を幸せにすること」に変換し

「自分を大切にする」を「自分を幸せにする」に変換した。つなげるとこうです

対象を大切にすることを通して人間は自分を大切にする

という文言を

対象を幸せにすることを通して人間は自分を幸せにする

と脳内変換して読んでいる。(おえっ…)

大きな解毒は大方終わっていますが、元ズブズブの共依存だった私です。これを書きながら久しぶりに胃からこみ上げるものがあります。(拒食万歳のルールが…)

気持ち悪いですね。「対象を幸せにすることを通して、人間は自分を幸せにする」という何とも恐ろしい共依存の洗脳セオリーど真ん中の言葉。

加藤先生の原文とは全く違うことを、勝手に毒の思考の癖で変換していたから気分が悪くなったのだと判明しました。

 

せっかくなので3行目も

人間は対象を愛することを通して自分を愛する

あれ?なんだか嫌…。

ああ、これは2行目の嫌だった理由と同じかも…。

怒り、があります。疑問から派生する怒り。詳しく思考を浮かぶ順に列挙すると

 

  • 対象を愛することを通さないと自分を愛せないってこと?
  • 自分を愛するために他者を介在させるってこと?
  • 自分を愛するのに他者なんて必要ないでしょ?
  • 自分を愛するのは、自分がやればいいのに…
  • また委ねるの?自分を幸せにするのは自分でしょ?
  • 他者に自分の幸せを委ねるべきではない

 

ざっくり書いただけでもこんな感じ。これに関連するもっと細かな思考や、過去の体験からの記憶なんかも引っ張り出してたり、すると思います。

忙しいですね。私のアタマの中は…。笑

何が嫌だったのか?というと、2行目を読んだ時と同じです。「べき」を付けているところに「毒ルール」がある。「毒の思考の癖」。

絶対である。こうあるべき。普通は…。常識でしょ?何言ってるの?

といった想い。

元々持っていた「毒ルール」を見つけては外し、ようやっと「自分のことは自分で」

「私を幸せにするのは私」と共依存から自立できたのにもかかわらず、また他者を介在させて「幸せ」を語られるのは許せない!

と言うやつですね。

曲解が大好きです。私のアタマは。思考の癖はなかなかしぶといなぁと、一旦距離をとる。

 

さて、これだけでも、自分の「毒思考の残骸」を見つけることができたので私は既に、これを書きだす前よりハッピーです。

私が不幸なのではなくて、私の間違った解釈が原因で「目が滑った原因」が分かったから。

「目が滑る」時には「毒ルールが起動している」ということを知っているから。

起動した「毒ルール」を特定することで、「毒の種」がどこにあるか分かったから、安心できる。いつでもその「毒の種」を取り除くことができるので大丈夫。そう思えるからです。

気分が変わります。変わりました。

私は更に強欲なので、更に深堀します。

何をするかと言うと、この「目が滑った」けれども「引っ掛かった」言葉は、どんな意味があるのかを再確認することです。

 

加藤先生の言葉の真の意味(私の解釈)

私の「毒ルール」で勝手に変換したり曲解したりした部分を照合しながら、間違った解釈にならないように再度読み直して、理解をする。

人間は対象なしには無である。

→何もなければ「無」。そうだよね。

さて、2行目…

自分自身を目的にすることは、無目的にすることである。

え?こんな文言ありました?

っと。笑

目が滑っていたにも程がありますね。無かったことにしてました。

書きながら、驚きました。すごいな私。全然わからない…。

と言うところまできて今、30分程考えてみたのですが、やっぱりわからない。なので、これはまた、こちらのご本を読んでみてからこのセンテンスについては考えようと言う結論に至りました。

と言うわけで、こちらは奇跡の2行目ということにして、前の項目で書いている(本当は3行目の)2行目の解釈をします。

対象を大切にすることを通して人間は自分を大切にする。

本のタイトルから、毒親家庭で培った共依存者を対象にしている言葉、という前提を自分なりに加えて解釈にのぞみます。

対象を大切にするとは、目の前の人やモノ、事象を大切に思うと言う行為と解釈します。

そうすることで、「何かを大切にする」という行為ができるようになる。

「対象」を持つことで行動ができる、思考することができる。なので、それをすることで「大切にする」という行為を自分でできるようになる。

ということなのかな?ふむふむ。(違うかな?取り合えずいいや。そんな感じ)

人間は対象を愛することを通して自分を愛する。

人間は対象を愛する、ということを通して、自分を愛する。

「愛する」ということを実践する。

実践するには「対象が必要だ」。ということ。お?最初の1行目、との親和性が感じられます。なるほどなるほど。

ただ、いまいちピンとこない。

「愛するには対象が必要」ってことなんだと思う。

「何もなければ愛せない」と書くと語弊があるけど、「対象があるから、その対象を愛することができる」と言う感じなのだろうな。と思う。

 

まとめ「Twitter」を元に思考の観察をした結果

つらつらと書きました。

Twitterにある言葉から、自分はどんな風に考えるのかな?私はどうかな?毒のルールはないかな?「毒の思考の癖」は無いかな?

と考える日々です。

私がTwitterをやっている理由は、

  • 自分の思考の癖を見つけること
  • 共依存に悩んでいたかつての自分にかけたい言葉を探すこと

の2つです。

私はただの人です。ちょっとハード系毒家庭で育ちましたが、世の中には似たような境遇や、もっとつらい思いをした人が沢山います。

だから、私の言葉で誰かを救える、とは思っていません。

でも、同じような悩みを抱えた方や、同じように「気分を変えるために思考の癖をチェックする練習をしている」といった方の参考になるならという副次的な意味も込めて、ブログを書いています。

私のやり方が100%正しいとは思っていませんが、私には「思考のチェック」が合っていたようで、この方法を取り入れ、丁寧に思考を観ることができるようになりました。

そして、自分の思考の癖を見つけることは、とても細かな作業ですが、できるようになると、「辛い気分の状態」を早く脱することができるようにもなりました。

 

 

短気で損気な私の思考の癖。

毒のルールのしっぽや種を見つけては捕まえて。

観察して、笑って、バカだなぁと手放す日々です。

 

お金もかからないし。文字にするのはもともと好きな方だし、ブログで解毒。

完全解毒はまだまだ先かもしれませんが、楽しみながら私の毒ルールの排除をしております。

 

今から加藤先生の著籍を拝読します。楽しみです。

読了後、感想記事もかけたらいいなと思っています。


ABOUT ME
usui
毒親・機能不全の家庭で育ちました。 母との関係を清算しようと対峙した結果、母は自死しました。 何年もかかりましたが、毒家族との関係を断ち、今では幸せに暮らしています。 鬱やAC、共依存、毒親、精神疾患に苦しむ方やそのご家族のお役に立てることがあれば。思ったことや経験談をシェアしていきます。