「雨水のお母さんは、激しいし本当に大変な思いをしただろうけど…、でも愛情もあったのだったら羨ましい。私の親なんて空っぽで薄っぺらい人だったから…」
毒親育ち、共依存から自立したお仲間に言われました。
以前だったら「どうしてそんなこと言うんだろう」と言う怒りのような感情に支配されただろうな…。と思いつつ、やはり少しモヤモヤした感情が浮かんだので整理しようとブログ画面を開いています。
彼女に言われ、心に引っ掛かった事柄は
- 体罰を伴う虐待があっても、母親からの愛情を感じることができたならマシ
- どんなに理不尽だろうと、母親が幸せだった、という印象を持ててる雨水は良い
と言うこと。
この言葉を言われた時にには、少しびっくりしました。
人の幸不幸は、その人のもの。他人が判断するものではない。
という意識が私の中にあったから。
そして、それよりもっと奥に、チラリと怒りがのぞいたのも見つけました、私の中に。
(どうしてそんなこと言うの?)
一瞬たりとも気を抜けない幼少期。
何が母親の琴線に触れるか分からない2歳、3歳頃からの恐怖の記憶。
少しでも(母の望みと異なる)間違った言動を選択すれば、平手が飛んでくる。
平手が飛んでくるだけなら良い方で、真夏の炎天下にグラグラたぎる野外のトタンの物置の中に何時間も閉じ込められる。
鍵をかける金属部分が熱くて、肘が触れようものなら火傷する。
ようやっと母の気が収まり、物置から出してもらえたところで、やけどの跡があるとまた叱られる。当然、食事はもらえない。
ひもじい思いはお腹だけじゃなくて。優しいお母さんが、いつか本当のお母さんが迎えに来てくれると信じながら、家の暗がりでめそめそと泣く。
陽が落ちて、部屋が暗くなったとしても、母の許しのないうちから電気をつけようものなら、せっかく沈静化に向かっていた感情に火をつける。
そんな日常。
3歳になる前から毎週山奥の林道に拉致されて捨てると脅される(時々本当に捨てられまして…)。
とか。他にも色々あったなぁと思う。
それでも、友人は言う。
雨水のお母さんには、感情があったから…。と。
そして、
雨水のお母さんは、子どもたちへの愛情も…下手くそな子育てだし、毒も混ざっていたけど、でもやっぱり愛情もあったから…。だから羨ましいよ。私にはそれがないもの。
と言う。
そうかもしれない。とも思う。
そして、友人の幼少期を可哀そうだとも思う。
でも、やっぱり比べるのは違うんじゃないかな、と思った。
正直、私はまぁまぁな毒親エキスパートの元に生まれた。と、40代になり知りました。
それは、子どもの発達関連で出会えた医師に言われて気づいたことです。
その先生は、所謂、ワイドショーの全国ネットで報道されるような大掛かりな事件になると、精神科(発達や共依存、毒親系)の専門医として召集されるレベルのドクター。
その先生に
雨水さんはね、そうですね…、上の下、ってところかな。
と言わしめたレベル。なかなかだと、当時の私は大満足。「悲劇のヒロイン」が大好物だったから。。
でも、今は。ただ、そっか。と思う。
そっか。
しか、言いようがないから。
もう、母を恨んで攻め立てることもできないし。亡くなってしまったから。
友人に向かって反論しても、何も生まれない。
そもそも、反論するほどのことでもない。ただ、私の中にモヤっとしたものが生まれたので、それを観察する。
自分の思考の観察。考え方の癖をチェックする。
毒親家庭で培ってきた、毒の思考が残っていないかの確認をする。これが、解毒に有効だから。
解毒は大きなものはたいがい終わっているけれど、でもやっぱりまだ細かい残骸が残っていて顔を出す。チクチクする。
その思考を野放しにしていくと、悪い芽が出て大きくなる。ことがある。だからそうなる前に摘み取る。
何が嫌だったのかな?と考えた。モヤっとした理由。
劣悪な、地獄のような養育環境に、本当に、本当に私は苦しんだのに…
と言う思いなんだろうなと、書いていて気づく。
なるほど。
これこそ意味がないこと。
私の辛かった事柄を「マシ」だと言われたことが嫌だったんだなぁ。
私は「マシじゃない」と思っている?思いたいところが、まだあるのだなぁ。
やっぱり、「悲劇のヒロイン大好き」な癖がまだチラーっとあるみたい。
こうやってチマチマと見つけては認め。
認めては手放す。
この繰り返し。
嫌な気分になったことを認める。
自分の思考を観察する。
自分の思考を可視化する。
とても大切なひと手間。