母との最終対決

【体験談】実母との最終対決#3【毒母との別居・揺さぶり】

こんにちは、雨水(うすい)です。

記事が大変長くなっています。既に「私の生い立ち」や、ひとつ前の記事をお読みの方は、「はじめに」を飛ばしてお読みください。

目次にリンクがありますので、ご活用ください。

機能不全家庭で育ちました。母と祖母がわかりやすいパワー型の毒親でした。

かつての私は、機能不全家庭で培ってきた「毒のプログラム」「毒軸のルール」に縛られて苦しい日々でした。色々なものに手を出し、試行錯誤しながら、現在はその「毒の思考」を捨て、穏やかに暮らせるようになりました。

同じような苦しみを抱えた方に、こういった「毒の体験」をして苦しんでいた過去があっても、幸せに暮らせている人間がいる、という事を知っていただき、少しでも前に進むヒントになればと、ブログを始めました

しばらくは「私の生い立ち」についてつづってまいりましたが、本シリーズでは、私が最後に母と対決した頃のお話についてご紹介していきたいと思います。

本記事(シリーズ)では、シビアな単語やエピソードが登場します。

  • 実母の自死
  • 私の自殺未遂
  • 身体障害・精神障害の兄弟
  • 詐欺

このような単語を目にして、少しでもお気持ちがザワ就いた場合は、本シリーズをお読みになるのはお控えください。上記以外にも、おそらく関連する厳しい単語が登場します。

また、本記事は、「毒母との対決」シリーズ#3になりますが、少し他の話題も交えながら時系列で進めていきます。

少し読み難いこともあるかもしれませんが、ご容赦ください。

機能不全家庭や毒親家庭、精神疾患を抱えている時によくある「同時期に色々動く」という事象になっています。

また、記事が大変長くなっています。既に「私の生い立ち」や、ひとつ前の記事をお読みの方は、「はじめに」を飛ばしてお読みください。

目次にリンクがありますので、ご活用ください。

はじめに

本記事は私の実体験です。辛辣な単語も登場しますし、冒頭で記載しました通り、「母の自死」についてのエピソードも登場するお話になります。

また、私の「自殺未遂まがい」のエピソードも登場します。

  • お気持ちが塞ぎがちな時に本記事をお読みになるのはお控え下さい
  • 本記事はシリーズ化して綴る予定です。私の実母の自死に関するエピソードも登場しますので、シビアな状況の方にはお勧めしません
  • 本記事は、私の実体験をもとに書いていますが、私や家族のプライベートを守るために、若干設定を変更する場合がありますことをご了承ください
  • 一般的にはハードな部類に入る体験談かもしれませんが、不幸自慢をしたくて記載しているわけではない、ということをご承知おきください
  • 身近にお辛い方がいて本記事をお読みになる場合は、私の体験と、身近な方の体験を比較して、その方を慰めようとすることはお控え下さい
  • ご自身の体験と重ねて、読むうちに苦しくなる場合は、直ちにお読みになるのをおやめください
  • ご自身の体験と重ねて、「私はまだまだ大変じゃないんだ」と万が一思ってしまった場合は、「私は私」「この人はこの人」と線引きをしてください。それができない場合は、直ちに読むのをおやめください。

機能不全家庭で育ったり、毒親に関わりながら人生を過ごしてきた方は、どうしても他者と自身を比較しがちです。それは、仕方のないことです。

でも、この記事をお読みになって「余計苦しくなる」「自分はだめだ」「私の不幸は大したことないのに…」と落ち込んでしまわれるのは誤りです。

こんな風に人生を送ってきた人間も、どうにかして幸せな毎日を送っている。

だからきっと私も、今の辛い状況から脱出できる。そんな風に思ってもらえる、活路のヒントになればと綴っています。

どうかご自身を責めたりせず、ふむふむ、そうか、頑張ろう。頑張れそう、というコンディションの時に、開いて頂けたら、と思います。

本記事をお勧めしたい方
  • 機能不全家庭や毒親育ちで苦しんでいて、実体験を読みたい方
  • 毒親が自殺をした。辛い。同じような体験をした人の経験談を読みたい方
  • 自殺未遂の経験があっても幸せに暮らせている人の体験談が読みたい方
  • 心療内科にどっぷり浸かっていた人間が、どんなふうに生活して人生立て直したのかの体験談が読みたい方

本記事は、かつての私のような体験や、心の辛さを抱えている方向けのものです。

何度も記載していますが、辛い単語も並びますので、読んでいて心が沈む場合は、一旦記事から離れてください。

ご自身の心を守る。まずはこれが一番大切な事、だと思っています。

前回のおさらい

母との最期の共同生活から5年がたち、「毒親」「毒母」という言葉に出会いました。

自分と母の共依存関係や、自分の育った家が「機能不全家庭だった」ということに築きながらも、再び母のもとで支配と洗脳に溺れていった私でした。

そして、社会不適合の兄が詐欺にあいました。そのことが発覚した時には、私はいくつかの精神疾患によって精神科に通っていました。

精神科で処方された薬を飲みながら日々何とか生きながらえている状態でしたが、

「今を乗り切れたらその後は(雨水は)どうなってもいいから、この問題を解決して」

「1日の処方量なんて気にしなくていいから対応して」

と言う母の望みを叶える為、ボロボロになりながら詐欺にあった兄を助けるために翻弄しました。

料理をしない母:受け継がれる毒の連鎖

兄の詐欺問題が何とか解決したあたりから、母は、ダイニングで食事をしなくなりました。

母と暮らし始めてから5年が経過し、朝晩の食事の支度は私に課せられていました。

もちろん、新居に越してからもそれは変わりませんでしたし、私が体調を崩していようと、基本的には母が食事を作るということは殆どなかったように思います。

それは、祖母がそうだったから、と言うのが理由です。

祖母は戦後、女手一つで母を育てました。母が幼少期の頃から働きに出ており、曾祖母が元気だったころは曾祖母が食事を作っており、その後母が成長するとその役割は母に。

掃除に関して異常な几帳面さを発揮する祖母でしたが、料理はしない。

私が幼かった頃から、祖母が包丁を持つ姿を私は一度も見たことがありません。それほどに祖母は料理をすることを拒んでいました。

そして、私が母と暮らし始めてからは、母もかつての祖母と同じように、料理の一切を私に任せるようになりました。

家族のための食事を作り、私は汁物の上澄みで作った重湯をほんの少し口にする程度の日々だったように記憶しています。

心配?愛情?のベクトルがねじ曲がっている母

ある日、母と共通の知り合いのおばさんから

「雨水ちゃん、ご飯食べなきゃだめだよ」

「雨水ちゃんが、ご飯を全然食べないって、お母さんが心配しているよ」

と声をかけられました。

どうやら、母は私が食事を摂らない(摂れない)ことを心配しているという話をしていたようでした。

表面的には「娘を心配する優しい母親」に映ります。そして、その部分はゼロではなかったかもしれませんが、彼女(母)の本音は「操作したい娘は健康であるべき」が隠れていたように思います。

書いていて、とてもとても悲しいです。「本当に心配」もある。それもわかる。でも、母は「心配の仕方が間違っている」ということに気づいていない。このことがとても悲しいです。

「心配しているんだから元気になってほしい」「心配だからご飯を食べて欲しい」

主語が自分(母)ですよね。

「雨水が心配。だからご飯を食べてほしい」

のではなくて

「娘がご飯を食べないと【私が】心配で苦しいから、ご飯を食べて欲しい」のです彼女は。

そんな母親って、悲しい。母親としてあまりにも未熟。人としても。寂しい。自分の事ばかり。

「見守る」ということができない母。人の心配をするふりをして、結局は自分の心配。

自分の心が楽であるために、他者を操作する。愛情のベクトルが間違っている。これに気づけない悲しい老女。可哀そうな母。

母の八つ当たり開始

そうこうするうちに、母が私に対して八つ当たりを開始しました。何か。

それは、「自分もご飯を食べない」に向けて行動することです。

家族の食事を引き続き作っていましたが、母が食べなくなりました。

「お母さん、ご飯の時間です」と呼びに行くと「食べたくないからいい…」と言うようになりました。「置いといてくれたら後で食べるから」と言いますが、一向に食べません。

そんなことが続き、母に寄せた献立にしていても、当人が食べないと、フードロスになります。子供だけが食べるのならば、子どもの好きなものに寄せてあげられるし、手間も少ないのに…。

そう思いながら日々暮らしていました。

しかし、作らないという選択ができなかった私は、食事の支度の前に母に聞くようになりました。

「ご飯の支度しますけど、食べますか?」と。

すると

「結構です」「要りません」

と返ってくるようになりました。

母はもう亡くなっているので真偽は定かではありませんが、操作系・子供を支配したい親にありがちな「悲劇のヒロイン×マウンティング」を実行するとこうなります。

同じタイプの母親がいる方は、大きく頷かれるものかと思います。

要するに

「娘が食べれない」ということはもう関係なくなっていて「私(母)だって辛いから食べれない」というスタンスに立つことを決めた。「気に入らないからご飯を食べない」「私(母)を心配するべき」という思考です。

操作系・支配系の毒タイプが良く使う手法です。

自分がとても可愛そうな人間だ。という立ち位置をとることで、周りの同情を買い、相手を思い通りに操作する。

最善策は「無視する」「好きにさせる」「取り合わない」ことです。

※ただ、この頃の私にはそれができませんでした。

悲劇のヒロイン×怒りアピールが増す

毒親の洗脳状態で生きてきた私の奴隷通常モードであれば、母のご機嫌を取るために元気なふりをしたり、母の要望をヒアリングして、お望みの通りに行動したはずなのですが、当時はそれができない状況でした。

今日が何月何日なのかも定かではなく、仕事があるときにだけ平気なそぶりをして週に数時間だけやり過ごす。記憶障害。自分がまともでない状況だったので、全ての言動のメモを残しながら仕事をしていました。

そんな状態で、母の揺さぶりにうっすらと気づきながらも手段を講じることができずにいました。

結果的に、それが功を奏して母の「娘の作ったご飯を食べない」というスタイルに取り合わないという形になったのですが、母は気に入りません。

そこで、今度は食事に関する一切について、私が用意した食事以外、食材迄も拒否するという行動に出ました。

具体的には、食事の支度をするタイミングに母の部屋に行くと、お盆に用意した食事を床の上に置いて正座で食べる、という行為を私に見せつけるというものでした。

何度も目の当たりにしたということもありますが、あの光景は壮絶です。

60歳を過ぎた女性が、床の上にお盆を置き、その上に茶碗と総菜を並べて正座して食事を摂る。

新築の家。フローリングの床の上で。

テーブルもあるのに、あえて床の上で、可能な限り粗末でみじめに見えるように食事をする姿

相手のことなんてお構いなし。私がどんなものを目にし、どんな言葉をかけられたら苦しいのかを熟しているからこそできる、共依存の極みです。

母の恐ろしいところは、相手を苦しませるには、自分も苦しい姿を見せる。

相手を攻撃する為なら、どんなに嫌な事も辛いこともやってのける、というところ。

 

唐突に「出て行く」と告げられる

兄の詐欺事件から1か月経過したころでした。

ある日、遠方での出張の仕事が入りました。そして、その仕事から帰宅した夜、母にこう告げられました。

「雨水はもう大丈夫ね。回復していって、仕事も前みたいにきっとできるようになる。お母さんは出て行きますから、後は頑張って」と。

その時の私は、心の奥底で安堵し、「これで母から解放される…」と思っているのにもかかわらず、母の呪縛・洗脳が解けていなかった為、涙を流しました。

「そんなこと言わないでお母さん。」と言って母を引き留めましたが、母は「もう決めたことだから。〇日に引っ越します」と静かに言いました。

二種類の不安が私を襲うのを自覚していたと思います。

  • 共依存の片割れがいなくなること
  • 母は離れるポーズをしているだけで揺さぶりをかけている

しかし一方で、主治医から「お母さんと離れられませんか?」と打診されていたことや、「私の母は毒親だ」という気づきもあり、揺れていました。

これは、洗脳が外れかけてきていた証拠なのだと、今は分かります。

引っ越し当日

引っ越しの日は、朝早くに業者の方の手配をしたと聞いていました。

そして、母の引っ越し当日、朝7時に起きると、母の部屋はもぬけの殻でした。

前夜に「行くときには声をかけるから…」と諭されて(操作)いたのですが、母は黙って出て行きました。

当然、子どもへの挨拶もなく、です。子供は「行っちゃったの…?」と寂しそうにしていました。

私が不在の時に、母から虐待を受けることもあったにもかかわらず。とても複雑な気持ちになりました。

母との別居(引っ越し)について思うこと

もう6年も前の話ですし、当時の私の精神状態は惨憺たるものだでしたが、要所要所での出来事は、今でもありありと思い出すことができます。

そして、正直辛いです、書いていて。

ただ、昔のような希死念慮にさいなまれることはない。これは、私の心が成長したということと、かつての自分をしっかりと見つめる準備ができたということなのかな、と感じています。

とても複雑な気持ちです。

この後も、母が自死するまでの約一年、たくさんの揺さぶりがありました。

とても辛かったし、苦しかったです。そして、母が自死してからは、更に大変な思いをしました。

それでも、自分がどうしたら幸せになれるのか。自分を幸せにするにはどうしたらいいのか。幸せになりたい。幸せになってもいい。幸せになろう。そう思えるようになった軌跡を綴りながら、かつての自分を振り返り、同じような思いをしている方の、何かの参考になればと思っています。

続く

ABOUT ME
usui
毒親・機能不全の家庭で育ちました。 母との関係を清算しようと対峙した結果、母は自死しました。 何年もかかりましたが、毒家族との関係を断ち、今では幸せに暮らしています。 鬱やAC、共依存、毒親、精神疾患に苦しむ方やそのご家族のお役に立てることがあれば。思ったことや経験談をシェアしていきます。