こんにちは、雨水(うすい)です。
Twitter内でのやりとりから、本記事を書くことにしました。
カサンドラ症候群(風)に悩んだ私の過去と、最終的に解決に至るまでの経緯などについてご紹介します。
- カサンドラ症候群に悩んでいる方
- 発達の特徴を持つ家族との関係で苦しい方
- カサンドラ症候群から鬱のような状態になり辛い方
そういった思いの方に向けて、私が実際に
- 情報収集方法
- 相談した窓口
- カサンドラ症候群(に近しい状態)から脱するきっかけになった出会い
といったことについてご紹介します。
本記事を書くにあたり、私の簡単な背景や家族関係についてまずは記載します。
あらかじめご了承いただきたいことがあります。以下の「注意点」についてご納得いただける方のみ、本記事をご参照頂けますようお願い致します。
- 私は医師ではありません。実際の診断や具体的な指針についてはあくまでも「一経験者」としての「体験談」であるということをご理解ください
- 本記事でご紹介する解決策などはあくまでも私個人の体験談、という点をご理解ください
- 医療的な診断などは、専門の医療機関や公的な支援センターにご相談ください
- 本記事は、発達障害やカサンドラ症候群などについて既に悩んでいる方や多少の知識がある方が読まれる、という前提で記載しています。多少の補足をしながら進めますが、当事者の一体験談としてお読みください
記事が長くなっています。
目次にある項目から、該当箇所に飛べますのでご活用ください。
スマホから閲覧されている方は、記事中でも左側にメニューボタンが表示されますのでご活用ください。
具体的な情報収集方法については「情報収集の方法は?」からお読みください。
私の身近な発達さん
私の身近な発達さん(我が子)
私は、子どもに発達の診断がついています。
新生児期から発達の特徴がありました。育児相談の度に発達の検査を希望してきましたが、今ほどの理解がまだまだ追いついておらず、結局子供が検査を受けられたのは小学校高学年になってからでした。
私の身近な発達さん(兄)
そして、兄も、です。
兄についてはもう40年程前になりますが、私の兄も幼少期の頃の知能テストで「IQが高すぎる」ということで、某大学病院の小児科受診をすすめられ、今でいうアスペルガーの診断に近いものを親が受けています。
私の身近な発達さん?(母)
医師から直接の診断は受けていませんが、母本人が自分で「私ももしかするとアスペルガーかもしれない」と言っていた時期があります。
そして、母とのやり取りなどについて(母は毒母でした)私がカウンセリングを受けた「発達障害の権威」である主治医から、「お話を聞く限りでは、お母様も発達の傾向がかなり強いですね」と言われました。
既に亡くなっていますので何とも言えませんが。
「発達障害を学ぶきっかけ」と「カサンドラ症候群を知ったきっかけ」
実際に「カサンドラ症候群」という言葉を知るまでの経緯には、家族に発達障害がいた為です。
「普通はこうなのに」「一般的には〇〇だから」といった世間一般の常識だったり、その場の空気が読み取るのが苦手だったりする発達障害の特徴を持つ家族が私にはいます。
私は「アスペルガー症候群」の学びを深めていた時に「カサンドラ症候群」という単語を知りました。
カサンドラ症候群(カサンドラしょうこうぐん、英: Cassandra affective disorder)、カサンドラ情動剥奪障害(カサンドラじょうどうはくだつしょうがい、英: Cassandra affective deprivation disorder)」とは、アスペルガー症候群[注釈 1]の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である
概要
アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じる
という仮説である。
引用:Wikipedia「カサンドラ症候群」
度重なる兄の起こすトラブルと母との関係により「アスペルガー」について学ぶ
少し横道にそれますが、私は幼いころからずっと「生き辛さ」「希死念慮」のある人生でした。それは母や祖母から虐待を受けていた幼少期であったり、機能不全家庭における「母子逆転現象」が原因でした。
私と年子の兄も、同じく母や祖母からの虐待を受けてきました。
兄はIQはとても高かった(と後に聞かされました)はずなのに、学校の勉強は全くできませんでした。
世間の目を気にするプライドの高かった両親の期待に応えられない為、次第にドロップアウトしていきました。
警察のお世話になることもしばしばで、父は会社を辞めざるを得なくなり、家を捨てました。
兄が警察に捕まるたびに、母はしりぬぐいをしました。
そして次第に、母は兄の言動を恐れて鬱を重くしていきました。
- どうしたら兄を理解することができるのか
- どうしたら兄を更生させることができるのか
情報収集をし、トラブルの度に何かないか?どこか相談できるところはないか?と、私を巻き込んで奔走しました。
そんな中で、「もしかするとアスペルガーなのではないか」というところにたどり着きました。
- 幼少期に受けたIQテストで数値が(今で言う)アスペルガーの特徴に合致していた
- 幼少期のIQテスト後に受診した、某大学の児童心理の教授から「自閉傾向のある能力の高い、アンバランスなお子さんです」と言われている
- 兄が事故を起こした際にお世話になった脳神経科医から検査を勧められた
- 兄が精神疾患で入院した際に、アスペルガーかもしれないと言われた
- アスペルガーのお子さんがいる方から勧められた本を読み、特徴が合致していた
こういったことから、母も私も「アスペルガー症候群」について深く勉強をするようになりました。
大学の児童心理学の学びから、自閉症や発達について学ぶ
私は卒業はしていないのですが、大学の選考が「児童学科」です。
児童心理や発達について、短い期間ですが学んでいました。
身内の中にいる「発達」については棚上げして学んでいたため、家族の「特徴」について気づくのが遅れましたが、後に「私の家族は発達の傾向がある?」と疑ってから、ある日色々な事がつながりました。
我が子を育てる中で、発達っ子やアスペルガーについて学ぶ
私の子供は発達の特徴が沢山ある子でした。
集団の中に入ると、手のかかることが多く、さらに悩みました。
小学校に入ると、トラブルは絶えず、ADHDの特徴ももちろんあるため、年中翻弄されました。
いじめも、同級生だけではなく、学校全体ともとれるようないじめ体験であったり、教師からのいじめも経験してしまいました。転校や引っ越しも、子どもの学校のために何度かしました。
小学校高学年を迎える頃に、大規模ないじめに子供があい、スクールカウンセラーの相談を親子で受けることができました。
そこで「発達の検査を受けたい」と申し出て、ようやく検査を受けることができました。
そして、息子にアスペルガーの診断が下りました。
私がカサンドラ症候群になるまで
私の息子の幼少期には、今よりももっと「発達障害」への理解がない時代でした。
私には小児発達の知識が多少あったため、息子が幼いころから発する言動や強いこだわりなどから、ずっと発達の可能性を考えていました。
15年前は「発達」への理解があまりにもお粗末で無駄に傷つく体験をたくさんしました
しかし、「保健所」や「小児科医」、小学校の「発達の専門資格を持つ教諭」への相談をことあるごとにしてきましたが、決まって言われるのは
- 発達障害だなんて、考えすぎですよ
- お母さんがそんなこと言ったらだめですよ
- お母さんは気にしすぎですよ
でした。
そして、当時は、「発達障害」「発達育児」の看板を掲げている小児科医でさえもそんなことを言われたりしていました。
市区町村の「発達支援」関係の窓口でも同じでした。
NPO関連の支援をしている団体への問い合わせもしましたが、息子は一見すると定型のお子さんとの見分けがつきにくいこともあり(というか、グレーに見えるタイプのお子さんを見極めるのが専門機関だと思うのですが…)、どこへ行っても
お母さんの気にしすぎです
で片づけられていました。そして、殆どのところで言われたのが
こんなにきちんとしたママとご挨拶のできるお子さんじゃないですか
自信をもって!
みたいなことでした。
まるで「発達障害」は悪いことのように扱われ、傷つくのと同時に、怒りさえ覚えました。
10年前、息子に発達の診断がついた頃から「カサンドラ症候群」かもと悩み始める
発達の診断がついた息子ですが、診断がついた病院の主治医からは、周囲に発達のことを知らせないようにと言われました。
私がカサンドラ症候群になったきっかけは、身内からの「知識がない故」の心ない言葉でした。
発達障害を認めない、信じられない団塊の世代
検査をすることが決まったころには、私の母はアスペルガーについての知識が深まってきていた頃でした。
しかし、元夫側の親族は、発達障害への知識も理解も浅く、ともすれば禁忌時効に触れるかのような扱いでした。
アスペルガーであることが判明したにもかかわらず、「そういうものは存在しない」「私の孫は障害はない」という言葉をかけられました。
救いは、今でもその元義母は息子に対して愛情を注いでくれていることで、診断後に何か態度が変わったとかそういうことはありませんでした。
しかし、それでも当時の私は傷つきました。
教師経験が長くとも全く知識や理解のない教師もいる
小学校では大規模ないじめがあったこともあり、中学校は私立の中学を受験させ、別のエリアに引っ越すことにしました。
市立中学への入学が無事決まり、担任にアスペルガーであることを打ち明けましたが、
- 「どう見ても普通のお子さんです」
- 「問題ありません」
- 「しっかりと指導していきます」
- 「アスペルガー等の知識も経験もありますから大丈夫です」
といった言葉が発せられ、早々に不信感を持ちました。
しかし、田舎であることも手伝い他の選択肢がないため、とにかく担任に理解してもらうしかないという状況でした。
後に判明したのですが、スクールカウンセラーが入学式に「今年の新入生に発達の特徴のあるお子さんはいるか?」という問いに対し「今年の新入生にはいない」と答えていたことが判明しました。
息子の学年には、他にも数名のアスペルガー診断済みのお子さんがいて、親御さんからその旨を伝えられていたにもかかわらず、です。
※他のアスペルガーのお子さんがいるとわかったのは、そのお子さんの親御さんと親しくなった折に打ち明けられたからです。もちろん、他言はしていません。
思い過ごし、気にしすぎと言われ続けた十数年
発達の診断が下るまで、そして下ってからも、子どものことで悩んだり相談しても、「気にしすぎ」「思い過ごし」「そんなことないよ」と、言われ続けました。
そして、「もう誰も信じられない」「誰も私の悩みを理解してくれない」という思いが心に深く深く根ざしていきました。
そういった「誰にも理解されない」という強い思いと、「誰かにわかってほしい」という相反する思いを抱えながら、「アスペルガーへの知識も理解もない教師に任せるしかない状況」の中で、トラブルが起こるたびに頭を下げて回っていました。
自分の精神疾患で心療内科に通う
ある日のトラブルがきっかけで、私は心療内科の門を叩きました。
発達っ子育児と、毒母との生活と、毒母の機嫌を取るために、社会不適合な兄の面倒を見ながらの心理的負荷から、鬱症状に陥りました。
最初に通った町の心療内科から、大きな入院施設のある精神科の専門病院に通うことになっても私の症状は改善されませんでした。
当時私についていた診断は
- 社会不安障害
- 適応障害
- PTSD
でした。
- 不眠症
- 不整脈(頻脈)
- 過呼吸
- 摂食障害
などがありました。
転機
学校のスクールカウンセラーや公的機関の発達支援、地域のNPOや民間の支援団体。
著名な専門医のセミナーや、専門医療機関へのアプローチ。
ネット検索はもちろん、新聞やテレビ、ラジオ、専門書籍、地域の広報誌、知り合いの心理士や医師、ご家族にアスペルガーがいらっしゃる方や当事者のセミナー、発達支援団体への照会。
ありとあらゆる方法で、「発達障害」や「アスペルガー」に関する情報を集めました。
そして自身の精神疾患を発症してから数か月後、転機がやってきました。
発達障害育児専門のカウンセリングルーム
発達のあるお子さんの支援を謳っているカウンセリングルームを見つけ、予約をしました。
2度ほど息子と行きましたが、その後は私が一人で通うことにしました。
そのカウンセリングルームは、子供本人と希望をすれば家族も発達の検査を受けることができました。ただし、医師ではないので診断はつけられない、ということと、判定も心理士による解説にとどまる、というものでした。結果はもらえますが10年以上前ですが1万円か2万円かかった気がします(私が受けました。金額はうろ覚えです)。
結論から申し上げると、このカウンセリングルームは私の心や生活を向上させるほどのものではありませんでした。
ただ、毎週予約を入れることで、心にある辛い気持ちを吐き出す場所が欲しかった当時の私の救いには多少なったことと、発達関係の情報を得るために通っていました。
- 発達っ子育児の不安を吐き出せる場所があることでほんの少し気持ちが安定する
- 発達っ子に関する情報収集として多少役に立つ
結局、情報収集と言った点では、当時の私が持っている情報以上のものを得ることはここではできませんでしたが、あまり期待しなければ情報収集もないよりはあった方が良い、と思います。
公的な発達障害支援の窓口
発達の診断が下りた15年前から5年程が経過していた、10年前の話になります。
息子の、最後にお世話になった、発達っ子の専門医の先生に繋がったきっかけが、公的な発達障害窓口でした。
市区町村レベルでは正直、大した支援が受けられないというのが当時の私の住まいのあったエリアでしたが、都道府県の広域管轄の支援センターでは、その5年間でかなり様相が変わっていました。
息子のトラブルに悩んだ際に、県の発達障害支援センターに問合せをしていたある日、担当の方が「お母さんはどうしたいですか?」と聞いて下さいました。
その際に、「A先生(仮称:発達の権威の先生)につながりたいです」と希望を伝えました。
それまでも何度も、色々な場所で同じ希望を伝えていましたが、「A先生に診てもらうのは難しい」と毎回断られていました。
ところが、その時は「A先生の場合は、数か月待ちになっても良ければ、何とかなるかもしれない」との回答を得ました。
そして、依頼をし、何とかA先生に診て頂けることになりました。
息子の最後の主治医A先生との出会い
A先生の初診日を迎え、息子と二人で病院に行きました。
まずは母子二人が診察室に入り、診察を受けます。
その次に、息子だけ。後から私だけ。さらに、初診日は息子が心理士さんと別室でお話をする時間が設けられました。
私が一人で診察室に入り、これまでの経緯をお話していた時です。
A先生は言いました。
「お母さんね、僕、お母さん診ていて思うのだけど、とても辛そうなのね。」
「発達の特徴のあるお子さんがいるお母さんにはね、嫌じゃなかったら、できれば一緒に僕の診察を受けてもらえるといいなとお話しているんだけど、お母さん、どうですか?」
と。
そして、私も先生の診察を息子と一緒に受けることにしました。
「次の診察日の時に、できるようであれば、お母さんについていろいろ教えてほしいと思うのだけど、お母さんは今、どこか病院に通っているみたいだけど、転院できるようならそうしましょう。」
と仰ってくださいました。
更に、「希望があるようなら、カウンセリングをお母さんも受けれますから言って下さね」ということで、お願いをしました。
A先生の2回目の診察
はじめに母子二人で診察室に入り、その後息子だけ、その次に私だけで先生の診察を受けました。
私の様子から、私は暫く毎週通うように勧められ、カウンセリングも毎回入れてもらうことになりました。
息子は月に1度の診察で経過観察。私は毎週精神疾患の治療とカウンセリングを受けることになりました。
A先生の診たて
発達の診断や診察は、本人の生い立ちなどの情報が必要になります。
息子の分を用意しましたが、2回目の診察の際には、私の生い立ちなどについても問われましたので用意していきました。
その中には、私の両親や兄弟の情報も含まれていました。
そこからA先生がおっしゃったのは、母も兄もおそらくアスペルガーだろう、という事でした。
私はとにかく治療(当時のメモより)
家族関係について話を聞きながら先生は「治療していきましょう」ということでした。
私は自分にどんな診断がついているのかを聞いた時のメモには
- 社会不安障害
- 適応障害
- PTSD
- カサンドラ?
- 機能不全
- 親子逆転
の単語が登場しました。
そして、A先生からは
「雨水さんね、共依存ですね。」
「(私の)お母さんとお兄さんの共依存」
「(私の)おかあさんと、あなた(私)の共依存」
と言われました。
私はカサンドラ症候群ではないけれども近い
当時のメモを見ながら、ああ、そうだったんだなぁと今は思います。
しかしその時は、既に「カサンドラ」という言葉を知っていたはずなのに、理解ができていなかったな、と感じています。
A先生からは「カサンドラ症候群というものに近いけれど、それ以上に親子共依存と、息子さんへの心配事が強すぎますね」「死にたくなっちゃうのも、まずはどうにかしましょうね」と言われたのを覚えています。
カサンドラ症候群に近い状態からどのように回復したか【体験談】
私はきっぱりとカサンドラ症候群と診断がされたわけではありませんが、「それに近い状態」だと医師から言われた経験があります。
そんな私がどうやってその状態から回復したかと言うと、
- 結局は自分の精神疾患の治療
- カウンセリング
- 脳科学の勉強
になります。
この辺りは個人差があることと、私の場合は「共依存」と「毒親(機能不全家庭)育ち」から自立することで回復した為、本記事では主旨がずれてしまいますので割愛します。
カサンドラ症候群、またはそれに近しい状態で辛い場合にはどうしたらいいか
ゴールをどこにもっていきたいかで、対処方法が異なるかと思います。
ここでは
- カサンドラ症候群(またはそれに近い状態)から脱するための方法
についてご紹介します。
専門医療機関に本人と一緒に通い家族サポートを受ける
一番良いのは、「発達の専門医療機関」の門を叩くことだと思います。
既に発達の診断がおりているのであれば、主治医のいる医療機関に一緒に行き、家族のサポートを受けられないか相談をする。
ここで大切なのは、「発達専門」の医療機関である、というところです。
そしてもう一つ、医師や医療スタッフとの相性も重要です。
相性が大切だと思う理由
どんなに専門知識があったとしても、どんなに実績があるように見えたとしても、相談者に寄り添えない、寄り添ってくれないところでのカウンセリングや治療はストレスがたまるだけで良いことはありません。
私も息子のことで初めて通った、小児発達の病院は規模もある程度大きく、住んでいたエリアでは最も専門的でキャリアも積んだ先生と聞き及んでいましたが、ろくでもなかったです。
それでも、当時は「やっと検査ができた」「ようやく発達の専門医にたどり着いた」と言う思いから暫く通いましたが、とんでもないことが起こり、通うのを辞めました。
その後は、別の医師に切り替えました。息子も、最初の病院は嫌だった。後の先生が優しくて好きだ、と、毎回楽しみに通っていました。
精神科の専門医を自分が受診する
ポイントは「精神科の専門医」と言うところです。
できれば「発達障害」の専門医がいる病院が更に望ましいです。
そういった専門的な医療機関であれば、家族サポートにも重きをおいてくれる傾向が強いです。
自分が辛いから、自分の治療をする
といった目的で受診する中で、カウンセリングを受けながら、「発達障害の家族との関わり方」を相談し、サポートをしてもらう方法です。
病院に相談してみた、心療内科で相談してみたのに、取り合ってもらえなかったというケースもあります。
自分が鬱状態になっていて、発達障害の家族との関わりに悩んでいる、といった相談をしても取り合ってもらえない場合は、「発達障害」に関する専門性が低い場合もあります。
実際に私も、小児発達の専門医療機関や、地域で評判の良い心療内科であっても、正しい治療や行動指針を示してもらえなかった経験もあります。
このような場合は、
- 別の病院を探す
- 発達障害の専門的な医師を探す
ことも同時進行で進めると良いと思います。
情報収集はどのようにするのか?
ネット検索や、新聞や地域の広報誌などでも情報を得ることが可能です。
基本的に私はネット検索と、専門書籍から著者の医師や著書に登場する医療機関やサポートサービスなどに問い合わせをしました。
ネット検索する場合の注意点
ネット検索をしても、情報が古かったり、ほとんど活動していなかったりする情報がヒットしてしまう場合もあります。
苦しい時に必死で検索をして、問い合わせをしてみたけれども対応してもらえなかったり、稼働していなかったりすることが私もたくさんありました。
そういった点も踏まえて行動すると、ショックが少なくて済むと思います。
検索ワードの例ですが
「アスペルガー 家族会」や「アスペルガー 家族サポート」「アスペルガー 家族支援」であったり、「カサンドラ 家族会」
といった情報に「地域」をプラスして検索すると良いと思います。
広域情報を扱っている公的な発達支援窓口に相談する【情報収集】
窓口に相談しただけで解決する場合は稀ですが、「発達障害」のある人の家族を支えるための会であったり、セミナーであったり、そういった情報が得られることがあります。
また、発達障害専門医のいる心療内科や大きな精神科には、カウンセラーがいることも多いので、専門医療機関の情報を集めて、ご自身の鬱症状で受診をするのもアリです。
公的な発達支援の窓口には「生きた情報」が沢山ありますのでおすすめです。
ただし、窓口の方との相性もありますので、かみ合わない場合は別の担当の方になるように問合せを改めても良いかもしれません。
発達障害に関するセミナーやイベントに参加してみる
セミナーやイベントを開催する主催者は、専門家や、当事者であることが多いです。
その会にさんかすることで、新しい情報が得られることがあります。
また、そういった会では最後に参加者に質問を募ったり、参加者同士で話をする時間が設けられている場合もあります。
そこで得られる情報と言うのは生きた情報であることが多く、同じ悩みを共有できる人との時間が救いにもなります。
NPOや民間の家族の会に参加してみる
同じ悩みを持った人たちの集まりに参加することで、カウンセリングを受けるよりも気持ちが楽になる場合もあります。
同じ境遇の方と話をすることで、実体験で役に立った生きた情報を得ることができますし、共感してもらえる場に足を運ぶのも有効です。
ただし、情報が出てきても現在は活動をしていない会があったり、同じ名前の会なのに、広域展開している場合などは、地域ごとの特色があったりします。
期待しすぎると後が辛い場合もありますので、とりあえず行ってみよう、くらいの気持で参加をしてみるのが良いと思います。
まとめ
以上が私がかつて、発達障害の家族との関わりで「カサンドラ症候群に近い状態」になったころのお話です。
かなり長くなりましたが、ポイントは
- 発達の「本当の専門医」とつながること
- 専門知識のある機関での家族サポートを探すこと
- 住まいのある広域の発達支援窓口を活用すると効率が良い
- ネット検索でヒットする情報には、期待値を越えないものもあると認識しておく
ということです。
かなり長くなってしまいましたが、少しでもお役に立てましたら幸いです。