私の生い立ち

私の生い立ち8|家族のこと(機能不全の毒家庭の家族構成)

この記事では、私の家族についておおまかに綴っています。

私は気の不全家庭で育ちました。いわゆる「毒親」だったり、毒家族の中にありました。

今は解毒が終わり、こうして自分自身の過去についてブログに体験談を綴れるようになりました。

この記事は実体験を綴っています。実際に母からされたことなどを書いています。

できるだけ感情を入れずに書くようにはしていますが、機能不全家庭での体験談です。

お気持ちがつらい時には、こちらの私の生い立ちをお読みになることをお控え下さい。

「私の生い立ち」についての記事を既にお読みの方は、「はじめに」の内容が重なりますので、目次の「はじめに」の次の章からお読みください。

はじめに

この記事の想定読者は

  • 近親者が自ら命を絶ち辛い。経験者の生い立ちが読みたい
  • 共依存や鬱、その他精神疾患に悩み辛い。同じような経験者が自分の体験をつづっている記事が読みたい
  • 虐待経験者の生い立ちや家族構成が知りたい
  • 自ら命を絶とうとしたことのある人(雨水。)の生い立ちに興味がある
  • 雨水。の生い立ちってどうなのか知りたい
  • 雨水。の家族構成ってどうなってるのか知りたい

こういった方に向けて、自身の経験を記事にしています。

記事がかなり長くなりましたので、20代以降のものも順次公開していきますので今しばらくお待ちください。

そして、読んでいただくうえでお願いしたい、お伝えしたいことがあります。

  • 不幸自慢をしたくて書いていないという事をご理解ください。
  • 私は大きな解毒は終わっていますが、それを誇りたくてかいているのではない、ということもご理解ください。
  • 毒の子育てはいけないことだ、と私は思っています
  • 毒の人に育てられた方が、これを読んで、立ち上がる糸口を見いだせたらと、思っています。
  • 私の経験よりも辛辣で厳しい中に身を置いている人や、その経験がある方も世の中にはたくさんいると、私は思っています
  • 私の体験談を、ご自身の体験を重ねたり、比較して、ご自身を責めたり、落ち込まないでください。
  • 前を向くために、「こういった経験をした人間でも、最終的に幸せになることができた」という一つの事例として参考程度にお読みいただけたら、と綴っています。

沢山の情報があふれている中で、つらい経験や、そういった言葉を目にした時に、ご自身が辛くなってしまうこともあります。焦ることも。

私は、「自分の親が毒親だ」と気づくのに35年もかかりました。

そして、それから何年もかけて解毒を進めてきて、今に至ります。

どうか、ご自身のペースで色々な事を進めて頂きたいと、切に願っています。

私は、今これを読んでくださっているあなたが、ご自身を整えるのに役立ててくださればと、願っています。

 

母のこと

私から見て、曾祖母と祖母、そして母の女3人暮らしだったと聞いています。

詳しくは母の生い立ちというか、母のことを思い出しながら書いた記事がありますのでそちらをご参照ください。

父親のいない母子家庭で育った母のこと
母のこと

上記以外にも、母から聞かされた話なども含め、また母について書いていくと思いますが、要は機能不全の家庭で育っていたのだな。と思います。

祖母からの虐待は日常茶飯事でしたが、甘える相手もおらず、いつも祖母におびえて過ごしていたことが母からの話でも伺えました。
そして、それは「躾だ」と母も思い込んでいましたし、私もそう思い込んでいましたから。

母子家庭であることに引け目があったようで、人一倍常識というものを重んじていました。人の目を常に気にしていました。

控えめという単語は彼女の中には存在せず、常に目立つところに立っていました。新聞やニュースに精通し、政治や経済、財界人の情報についても異常な記憶力で、常に他を圧倒していました。様々な情報を手に、自分自身で考え、行動する。自信をもって行動するための裏付けの作業を徹底して行っていました。

そして、それを、私にももちろん強いる。

学歴や職業に貴賎なしと口では言っていましたし、実際に人に対してそれを前面にだすことはありませんでしたが、彼女の中では学歴や職業へのランク付けが常になされていました。自分は4大卒である。かつては職業婦人であった。そして、立派に子供を女手一つで育てた。という確固たる自信がいつもみなぎっていまいました。

弱気を助け、強気をくじく。も彼女の大好物でした。いつでもマウントを取っていたように思います。

ただ、シンプルに毒だけの母であればまだわかり良いのですが、彼女の質が悪いところは、人情に厚く、本気で目の前の人間の為に全身全霊をかけて尽くす、ということをする。この点が、とてもやっかいでした。恨み切れない人懐っこさと馬鹿正直さ。ただ、毒で歪んだ思考とそれに気づけない愚かさ。

とてもアンバランスで、少女のような人だった。と。今は思います。

 

私は、もう母への憎しみや恨みは消化しました。母のことをここで悪く書いていないのは、もう済んだことだからと、心から思えるからです。

まだ済んでいない方は、そんな風にはとうてい思えないこともわかっていますし、そう思う必要もありません。もし、誤解をされてはいけないと思い、少しだけそのことを先に書いておきます。大丈夫。毒親のことはしっかり「ダメだこいつ」と恨んでいいのです。

父のこと

母はパワー系のぶっちぎり毒親でしたが、父も毒親だったなぁと、今は思います。

穏やかで、幼い頃は私の唯一の見方でいてくれました。

しかし、上の兄弟がドロップアウトしていくと、次第に関わりを持たなくなり、世間体のいい信太子供たち(私や下の兄弟)との接点のみを持つようになりました。

できの悪い子供は、もう知らない。というスタンスに切り替わり、何とかしようと、翻弄する母をしり目に、子供の教育を放棄しました。

そして、家庭の中で次第に言葉を発しなくなり、家族からも「頼りにならない」「愛情のない」「父親失格」というレッテルを張られ、逃げるように家を出て行きました。

そもそも、家を出ることも子供たちには知らせず、母とのやり取りはあったようですが、それでも、私や下の兄弟とは不和だったわけでもないのですから何かしら言っていけばいいと思うのですが。

父のことは、やはり母と祖母につぶされた人だったのだろうな、という思いも今はあります。それでも、家庭を顧みずとまではいきませんが、母に家庭をまるなげし、私たち兄弟が幼少期に虐待をされていたことに気づかなかった父にも、大いに問題はあると思います。ただ、母の狡猾なやり方、も加味するとそれも難しかったのかもしれませんが。

祖母のこと

とても強力な毒女でした。

気が強く外ずら抜群です。穏やかで品のある素敵なおばあ様ですね。とよく言われました。そして、私も他人であればそう思うでしょう。

女手一つで母を大学まで育て上げ、社会的信用のある企業を勤め上げ、小さいながら不動産所得を得るほどに仕事のできた祖母。

母が父と結婚し、数年後に、この若夫婦の家庭に入り込んだ祖母は、あっという間にこの過程での最高権力者となりました。

上の兄弟は、祖母がさまざまな揺さぶりをかけてつぶした、というところも大いにあると思います。

こだわりが強く、気位が高く、センスが良くて金払いがいい。かっこいい祖母でしたが、短気で、切れると手に負えませんでした。

私たちが母の機嫌を伺うように、母は常に祖母の奴隷でした。そして、私たちも、祖母にたてつくことは許されませんでした。

ただし、祖母は、母よりも機嫌のよい時間が多かったので、私の中ではよい思い出もたくさんあります。

そして、母に閉じ込められり、閉め出されたりした時に、何時間かすると手を差し伸べてくれるのは祖母でした。

今思えば、もっと早く助けてよ。何時間もたってからだなんて同罪だよ!とも思いますが、それでも当時の私たちにはありがたい存在でした

改めて書いてみて、やはり本当にくるっている。

兄弟のこと

兄と弟がいます。

兄のこと

一つ上の兄弟は勉強ができませんでした。
また、幼い頃は、母からの虐待から逃れるために、お互いにお互いを出し抜く、踏み台にするための存在でした。

それでも、ごくまれに、兄私に優しさをみせてくれたことも…あるかなとおもいだしてみましたが、
どちらかというとそれは、母からの評価を上げるための行為であることの方が多かったように思います。

大人になってからは、障碍者になってしまいました。身体的にも、精神的にも。

祖母と父と母の毒につぶされた。そう私は思います。

そして、どうにかかろうじて、正常な時に、正常ない状態を保てている時に、兄弟本来の優しさに触れることができました。

もろく、可哀そうな人。そして、おそらく、もう生きて逢うことはない人です。

弟のこと

とても優秀です。そして、我が家の大人たちの毒を少なめに過ごせた子供です。

といっても、幼少期の体罰がなかったというだけですけれども。

その代わり、上の兄弟がおかしくなっていた頃、家庭内暴力がひどく、下の兄弟がまだ小学生の頃だったため、はだしで家から逃げ出し、近所の大人と様子を見に自宅に戻るとパトカーが来ている、という惨事を何度も経験しています。

小さな小学生の頃、また多感な中学生の頃に家庭崩壊が進み、体の大きな兄が自暴自棄になり暴れまわる。

家の中がめちゃくちゃにされ、母が暴力を振るわれ、怖くて自室に鍵をかけ、裸足で近所の家に駆けこみ、泣きながら警察への通報をしてもらう。

頼りだった唯一の存在である姉(私)不在の中で。

そんなトラウマを心の底に抱えながら暮らしています。

以上が、私の家族構成です。

 

 

ABOUT ME
usui
毒親・機能不全の家庭で育ちました。 母との関係を清算しようと対峙した結果、母は自死しました。 何年もかかりましたが、毒家族との関係を断ち、今では幸せに暮らしています。 鬱やAC、共依存、毒親、精神疾患に苦しむ方やそのご家族のお役に立てることがあれば。思ったことや経験談をシェアしていきます。