伝えたいこと

【実例3つ】毒親との対決|ちょっと待って

毒親本を読んで「対決したい」とか「対決したほうがいいの?」と思っている人向けの記事です。
私の体験含め、実際にあった失敗例3つをご紹介します。

ちなみに、この記事を書いている私は、幼いころから実母と祖母からの虐待を受け、機能不全家庭で育ちました。
実母からの自立、毒まみれの家族関係から立ち上がろうと決意し、行動した1年後、母が自殺しました。
少しずつ私の個人的な経験談も綴っていきますが、ざっくりとした生立ちのようなものを書いてありますので、ご興味のある方はそちらもご参考ください。

https://utacu.com/9-2/

同じ轍は踏まれませんように、少しでも参考になれば幸いです。

1.毒親との対決、ちょっと待って

毒親本読むと手紙書いて出して、っていう対決をしたくなるよね。でもちょっと待ってね。って話です。
私は、初めて「毒親」について書かれた本を読んだ時に、本当に目からうろこでした。
それまで自分が苦しんできたことの理由がすべてそこに書かれていたように思ったのを覚えています。

そして、同じような体験をしてきた方の相談を受ける度に、自分の読んだ本を差し上げてきました。
そのたびに、「対決したくなるかもしれないけど、とりあえず読み終わったら対決はすぐしないで」とお伝えしています。
その理由は様々ですが、私自身の体験や、身近で起こった失敗事例が数多くあるためです。
この記事ではそんな失敗談と、各事例にみる解決法の案をご紹介します。

毒親関係の本を読んで、「手紙を書いて対決したい」どうしたらいい?という方には、以前書いた記事もありますので、併せてそちらもご参考ください。

https://utacu.com/99/

 

2.毒親対決した実例を3つ紹介

それでは早速、毒親対決をして失敗(?。その後苦労)したケースを3つご紹介します。

2-1.家出を決行したら大騒ぎ。捜索願に方々へ拡散され連れ戻された話
2-2.あんたが悪いと毒母に言ったら大騒ぎ。警察沙汰になった話。
2-3.絶縁を突き付けて出て行った母を迎えに行かなかったら自殺された話。

こちらでご紹介するお話は全て実際にあったことをご紹介していきます。ただし、個人を特定されてしまうといけませんので、一部分の情報をアレンジしてご紹介しますことをご了承ください。

2-1.家出したら大騒ぎ。

Aさん(20代大学生)のお話です。

 

幼いころから厳しい母親の教育に押さえつけられ生き辛さをずっと書かけてきたAさんは、ある日の母親との喧嘩をきっかけに、家出を決意しました。

当時、同級生の中には下宿などで一人暮らしをしている友人も多かったため、何日かかくまってもらい、日雇いのアルバイトを始めました。

彼女は真面目な学生時代を送っていましたが、母親への反発心から、ナイトクラブのアルバイトも始めました。

アルバイト先では、真面目な性格とお嬢様学校出身のAさんは可愛がられ、お金もすぐにたまり一人暮らしができるようになりました。

家出をして暫くは、親への罪悪感もありました。暫くすると、年の離れた妹から連絡がありました。

「お母さんが心配している」「お父さんが暴れている」「助けて」と。

Aさんは妹に連絡し、一人暮らししている家に匿いました。

Aさんのところに妹がやってくると、Aさんの母親は、妹を使って、何とかコンタクトを取ろうとしました。

妹さんはAさんの居所を知られないように、必死で協力をしてくれました。

Aさんが家出をして2か月。妹さんがAさんのところに住むようになり2週間ほどたったある日、Aさんの携帯電話に恐ろしい数の着信が入りました。

着信の主は、Aさんの学生時代からの同級生たちでした。
留守電やメールもたくさん入っており、要件のほとんどは

お母さんがAさんを心配して毎日私のところに連絡が来る。一度実家に連絡を入れてあげてほしい。
というものでした。そして、そのすべての友人に事情を伝えましたが、母親からAさんの知り合いへの連絡攻撃はやまず、ついには
このままAから連絡がないのなら、警察に捜索願を出す。と言い出しました。

Aさんは仕方なく、実家に連絡を入れ、母親と逢うことになりました。そして、結局実家に連れ戻されることになりました。

 

2-2.あんたが悪いと言ったら大騒ぎ。警察沙汰になった話。

Bさん(40代男性/サラリーマン)のお話です。

 

Bさんは幼いころからできの良い弟と比較され、常に「お前がすべての元凶だ」「産まなければよかった」と虐げられて育ちました。

若いころから、職場でもいつも嫌な人間のターゲットにされており、転職を重ねてきました。ようやく今の職場に落ち着き、奥様と出会い結婚をしました。

毒母は隣町に住まいを設け、できの良い弟も離れた街で所帯を持っているため、かつて家族で暮らした家に住むように毒母に言われ、家賃を母親に収めています。

毒親についての専門の本を読んだことがきっかけで、毒母との対決をしようと手紙を書きました。しかし、手紙を出したら家を追い出されると思い、紛議ることができませんでした。

Bさんの母親は、被害妄想がひどく、Bさんが幼いころから幻覚が見えると大騒ぎし、その度に、幻覚や悪いことが起きる原因はすべてBさんにあると喚き散らしていました。

普段は物わかりの良い知的な老婆を装っていましたが、一旦癇癪を起こすと手が付けられなくなりました。

ある日、またその母親が「監視されている」「心配で眠れない」とBさんを呼び出しました。
Bさんはいつものように母親の住まいに行き、不安材料を一つ一つ取り払う作業をしてあげていました。
しかし、最近読んだ「毒親」について書いてあった本のことを思い出し、母親に
「あんたが苦しいのは、結局あんたが勝手にやってることだ」
「いい加減、俺を巻き込んで苦しめるのははやめてくれ」
「あんたのせいで俺の人生めちゃくちゃだ」
と母親に告げてしまいました。

 

すると、不安でいっぱいになり小さくなっていた母親が半狂乱になり、大声で喚き散らし、そこらじゅうの家具を投げつけ、壊し始めました。
Bさんは「やってしまった」と言う思いと、抑えることのできない母親への怒りをどうすることもできず母親をののしりました。
隣家での大きな物音と、大人の女性の怒り狂う叫び声に驚いた近所の人が警察を呼んだらしく、パトカーがやってきました。

 

2-3.絶縁を突き付けて出て行った母を迎えに行かなかったら自殺された話。

私の話です。

改めて別記事でいずれ綴るつもりですが、かいつまんで書きます。

 

幼いころから母とは一心同体。運命共同体でした。
甘えた記憶などなく、常に彼女の右腕として存在することだけに意味がありました。

大人になり、生き辛さを抱え、「毒親」というものを知り、母がまさにそうであると知った私は、少しずつ母にそれを伝えるようになりました。

母もコンディションが良い時は多少聞く耳を持ちますが、基本的には毒に侵されているので神髄までは届きません。
少しずつ、少しずつ、母と私の間には溝ができ始めました。

 

母と私と子供の3人で暮らしていましたが、仕事や子供の学校への距離を考えて、引っ越すことになりました。
そして(よせばいいのに)3人で引っ越しをしたのですが、母親への服従よりも、我が子の健全な養育を優先する私を許せない母は、ことあるごとに私の子供と対立したり、子供を虐待するようになりました。

 

自分を殺すことには慣れている私でしたが、いざ子供を目の前で虐げられることには耐えられず、子供を守るようになりました。

そして、そういったことの積み重ねが許せない母は、私にさまざまな揺さぶりをかけました。

同居中の揺さぶりに最低限しか応じることのない私に業を煮やした母は、ついに出て行きました。

そして、時を同じくして、心療内科に通っていた私は、主治医から「お母さんと面談をしないように」と言い渡されました。
主治医は、著作もたくさんあり、精神疾患では日本でも権威とされている医師だったため、「暫くは会えない」ということを、その主治医の権威性で母に守らせることができました。

強固な共依存関係だった私と母ですので、お互いに死ぬほどつらかったです。
実際に、母からの揺さぶりにより私は何度も死にそうになりました。
そのたびに、子供と幸せになるんだと。涙と鼻水を垂れ流し、歯を食いしばって生き抜いてきました。

 

母は、私が何度も彼女の元へ通い、土下座し。ということを繰り返すのを望んでいました。
しかし、私は断固それをしませんでした。
そして、私が母を迎えに行かないとわかると、今度は周りにあることないことを吹聴しました。
母から色々な話を聞かされた、母の友人たちが、私の元へやってきたり、私の様子を伺い、母へ報告しました。

共依存関係に戻った方が楽なんじゃないか。と何度も思いましたが、私はそれをしませんでした。
そして、私と暮らした家から出いていって1年後。母は自殺しました。

 

3.各例毎の対策

各事例について、もしかしてこれをしたら、結果は少し違ったかもしれない。という事をご紹介します。
ケースバイケースですのですべてが当てはまるわけではありませんが。

 

3-1.家出の際の事前準備

携帯電話自体を完全に変えてしまうことをしたらよかったかもしれません。

友人たちには申し訳ありませんが、彼らとの連絡もたってしまってよかったかもしれません。
事前に友人に事情を話して逢ったところで、毒親は、Aさんの都合やAさんの友人の都合など関係ありませんから、
毒親の好きなようにストーカーのように連絡を入れるでしょう。

そして、本当の友人であれば、色々と落ち着いてAさんが連絡をしてきたときに受け入れてくれます。

・市役所への届け出/相談
・警察への届け出/相談

また、現在では、警察や役所へのへの事前相談もできるかと思います。
毒親対策、と言う点での対応としてはまだ浸透していない地域などもあるかもしれませんが、家族内DVというものへの対策として、警察では「生活安全課」などが担当しているケースが多いです。(夫婦のDVだったりモラハラ。あとはストーカー被害など)
そして、同じような相談のケースとして、市役所への相談や届け出もしておくとよいと思います。

 

これは、Aさんのように、家族が大騒ぎして捜索願を出そうとしたときに、「本人が家族関係の問題で悩んでいる」という履歴が警察署にあれば、捜索願が出されても警察は動きません。
また、市役所への届け出としては「自分の住所等を開示しない」ための施策などの相談ができるはずです。

 

家族間でのトラブルも近年増えていますので、こういった公的役場の相談窓口を利用して、毒家族に追跡させない手段を先回りしておくことが肝要です。

とは言え、毒親の執念深さは尋常ではありませんので、家出する場合は、周到な準備と、これまでの人間関係(仕事場含む)をすべてリセットする形で挑まない限り、難しいです。

もう一つのやり方としては、「毒親の喜びそうな理由」を餌に、自宅から独立する方法が良いと思います。
※こちらについてもおいおい書いていきます。

 

3-2.目的を対決にしても幸せにはならない

Bさんの敗因は何でしょうか?
うっかり行ってしまったことでしょうか?
私はこのお話を聞いたときには、Bさん良かったですね。やっと言ってやりましたね。とお祝いを述べました。
Bさんはびっくりしていましたが、やはり、もう少し別のやり方は無かったのかと気に病んでいました。

 

上記に紹介した「警察沙汰」というのは、一般家庭や、静かな毒親家庭ではあまりないことかもしれませんが、パワー系毒親の家庭ではあるあるです。
実際に、Bさんが成人する頃から、Bさんの母親はBさんへの当てつけや操作強化を行う手段として、「警察沙汰になるまで騒ぐ」ということを実施してきました。
※余談ですが、私の兄もこのパターンで母を操作してきました。

ですので、失敗も何も、いつも通りのことが怒っただけではあるのでえすが、Bさんは「毒親本を読んで理解できたから、次のステップへも本に書いてある通りにやったら(対決したら)進める」と思ってしまタンですね。

気持はわかりますが。何十年もかけて刷り込まれてきた毒を解毒するのも、その毒を我が子に注ぎ続けるほどの狂気に生きる母親を構成するのも、一朝一夕にはできません。

ですので、Bさんのケースで言えば、焦らないこと。まずこれが一番です。

そして、Bさんのケースでは、つい言ってしまった「親への恨み言(対決セリフ)」があることで、母親がより被害妄想が大きくなり、暫くは興奮状態になりました。

そうすると、Bさんの生活レベルが下がり、ストレスが大きくかかります。この部分が失敗です。

Bさんの場合は、手紙を書いたり、胸の内を人に話すことで開放していくことを実施し、本人への関わりを少しずつ減らし、懐柔していく方針を取ればよかったではないかと思います。

最終的には母親に権利がある持ち家から出ることだったり、完全なる決別をしない限り解決はしませんが、
Bさんにおいては、ずっとこらえてきた毒親への怒りを、冷静に取扱い、毒親と距離のある時に少しずつ浄化させていく処理が先にできていたら、違ったと思います。

 

3-3.毒や闇が深い場合はすべてを救えないと理解する

母が自殺した私のケース。
どんなことをしても、母を救う(自殺をやめさせる)ことはできなかったと思います。
選択肢はゼロではありません。母を生かしておく、という点では、選択肢はありました。
ただし、その場合であっても、おそらくですが、2020年5月現在において、もし母があの時自殺をしないように私が共依存に乗っかっていたとしたら…
今この世には、母と私と子供は存在していなかったと思います。

 

大げさではなく。間違いないと思います。

何故なら、幼いころから何度も母に「一緒に死のう」と誘われてましたし、母は辛いことがあると「家族を殺して私も死ぬ」と騒いでいました。
自殺旅行に祖母を攫って行方不明になることもしばしばでした。

私の子供を連れてどこかへいき、「死のうと思ったけどできなかった」と泣きながら帰ってきたこともあります。
全部実話です。嘘みたいな本当の話。

そして、そんな母のことを「くるってる」と思えなかった私。
ところが、そんな母は「くるってる」と知ってしまった私。

 

子供を守るため。私が立ち直るため。それができてから、母のサポートをしよう。まずは自分がまっとうにならないと何もできない。
そう自分自身を立て直そうと、母との距離を置いている矢先、母は耐えられずに自殺しました。

 

私の母の命を救い、私の命を救い、子供の命を救う。すべてを守ることは、できませんでした。

ハードな毒親家庭ではしばしばあることだと思いますが、一般的には少ない事例だと思います。
ただ、「毒に侵されすぎた人間は、救えないこともある」という理解をすることも必要だと思います。

まとめ

最後の、私の母親が自殺してしまうケースについては、まれだと思います。
ですので、「〇〇してくれないなら死んでやる」と毒親が言ったとしても、1,000回分くらいは大丈夫だと思います。もっとかも。
ですので、そんなことに屈することなく、自分の本当の気持ちを大切にしてほしいと思います。

 

また、実際の失敗例としてご紹介しましたが、いずれのケースも、ただの毒親の奴隷として、自分の意思で行動したり発言することを許されていなかった子供が、
毒親に真正面から対峙したという点では、大きな一歩。次のステージに確実に上がっている事例だと思います。

 

長らく親の言いなりだったけれども、次に進めた。ということは素晴らしいことです。

どうか、ご自身のご家族とのケースに照らし合わせ、行動を起こす際の参考にしてみてください。

■共依存ランキング

ABOUT ME
usui
毒親・機能不全の家庭で育ちました。 母との関係を清算しようと対峙した結果、母は自死しました。 何年もかかりましたが、毒家族との関係を断ち、今では幸せに暮らしています。 鬱やAC、共依存、毒親、精神疾患に苦しむ方やそのご家族のお役に立てることがあれば。思ったことや経験談をシェアしていきます。